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癒しの主体性 [オーラソーマ]

オーラソーマではクライアントにボトルを選ばせます。
これは、内容が占い的だとかいった批判が多いオーラソーマのなかの
最も占い的でない部分です。
クライアント自身の手でボトルを選ぶことによって、
無意識である部分からも、どこまでの癒しを自分に許すかの選択をしているのです。
コンサルテーションの後にボトルを使用するかどうかも
クライアントの自由意志に任されています。
ここでも再びクライアントは自己の癒しに付いての再選択を迫られています。
さらに、ボトルを使用することを選択した人は、
使用中にどこまでの意識を持ってボトルとワークするかで得られる癒しの深さが変わります。
オーラソーマはこのような形でクライアントに癒しの主導権を与えています。

ホリスティックな癒しの現場は、西洋的な医療の現場と決定的に違うのが
この癒しにおける主体性で、主導権は実はクライアントが握っているのです

私の例でこのことを表現しましょう。私が歩くことも儘ならない時に病院の医師はこう言いました。
「あなたの腰痛は先天的な脊椎の形成不全からくるものなので治療不可能です。」
この言葉には主語が隠されています。
この言葉の主語は医師である「私には」か「現代の西洋医学では」が正しくつくのであり、
このことからも西洋医学の医療現場の主導権を握っているのは
西洋医学の具現者である医師にあることがわかります。

これに慣らされすぎている現代人は、ホリスティックな癒しの現場でも
主導権がこちら(癒し手)にあると勘違いしているようです。
しかし、前述のオーラソーマの例で解るとおり実際はクライアントにあるのです。
誠実に患者に向き合うなら医師は私に対して、
「自分の知っている医療では、あなたを治療する手立てが見つけられません。」
と、表現するべきなのです。
というのは、治らないと断言すること事体が既に間違いであることを
現在の私は知っているからです。

クライアントの主体性は自己が認識している顕在意識のレベルと
自己が認識できないでいる無意識やハイアーセルフというレベルのものを
視野に入れていくと複雑です。
病気であることの利益があったりすると、顕在意識では治りたいと思っていても
無意識では治りたくないと思っていたりするわけですから。
でも、ここのギャップを少なくしていく行為そのものが癒しであり霊性の発達でもあるのです。

あなたの中の神の一部である部分は癒しを必要としません。
神ですから病そのものがないのです。
けれども、三次元的に生きるということはこの神である自分を
遠くに切り離した意識で生きてきました。
癒しはこの神である自分とのつながりを回復していくことをサポートする行為に他なりません。
癒し手は本来その人が持っている治癒の力を引き出すお手伝いをしているだけなのです。

自分の力を信じましょう。これは誰にでも宿っている力です。
その証拠に切り傷はあなたが特別なことをしなくてもちゃんと傷はふさがり
治癒へと向かうではありませんか。
癒し手に依存する必要はないのです。

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