霊的イニシエーション [アセンション]
イニシエーションと呼ばれる出来事があります。
ブログではベジタリアンの時に軽く触れた話です。
今年のものに限らず私は既にいく度かの霊的なイニシエーションというものを経験しています。
イニシエーションは日本語にするなら儀式ですが、
これは形式的なものをさしているのではありません。
仏教で言うなら五体投地、神道で言うなら大峯の奥駆けといった感じでしょうか。
我が身を投げ打ってことに向かい合った時に初めて到達できる心境というものがあります。
これに神霊的なものが絡んで、
自己の成長のために経験する出来事といったらいいのかもしれません。
こういう例えになってしまうのは、他に見つからないからであり、
過去生で経験してきたことだからです。
ちょっと爆弾発言してしまうなら大峯の女人結界って誰がはったの?
昔はあんなものなかったよね、小角の時代にはさ。
こんな風なことも言えちゃうけれども現代の中で経験した様々なイニシエーションもあります。
中には終わってから「あぁこれはイニシエーションだったのか」と気づいたケースもあります。
某神社の奥宮、関東平野が一望できる断崖絶壁に立たされたり、
結果を恐れずに行なってきた神事心霊的数々のこと、
どこまでがイニシエーションか既にわからないものも数多くあります。
多分、これから多くの人が人生の中でイニシエーションを経験するであろうけれど、
ひとつとして同じ体験はないだろうことだけがわかっています。
ただ、生き続けて霊的に先に進むことを選択した人には
その人の段階に合わせたイニシエーションが現れるということです。
これを一つ一つクリアして行った先に五次元の世界があなたを優しく迎え入れてくれることでしょう。
私は今、ロイヤルブルーの光線の中で自己信頼というイニシエーションと向かい合っています。
ここにはマスター・エルモリアと大天使ミカエルの恩寵が、行き亘っています。
私にとっては彼らの力を信じることは簡単です。
けれど、自分に彼らと同じ力があることを信じることは難しいのです。
これが私が向き合っているものであり、
すべての人が同じ側面から向き合うものではないことを理解しています。
自己の持つ力への絶対的信頼は他者の評価によって得られるものではないことがネックなんです。
これを通り抜けた後も多分先に述べたとおりに
段階段階のイニシエーションが待っていることでしょうが、
そこを通り抜ける楽しみを胸にいっぱい、両手いっぱいに抱えて進んで行きたいと思っています。
ブログではベジタリアンの時に軽く触れた話です。
今年のものに限らず私は既にいく度かの霊的なイニシエーションというものを経験しています。
イニシエーションは日本語にするなら儀式ですが、
これは形式的なものをさしているのではありません。
仏教で言うなら五体投地、神道で言うなら大峯の奥駆けといった感じでしょうか。
我が身を投げ打ってことに向かい合った時に初めて到達できる心境というものがあります。
これに神霊的なものが絡んで、
自己の成長のために経験する出来事といったらいいのかもしれません。
こういう例えになってしまうのは、他に見つからないからであり、
過去生で経験してきたことだからです。
ちょっと爆弾発言してしまうなら大峯の女人結界って誰がはったの?
昔はあんなものなかったよね、小角の時代にはさ。
こんな風なことも言えちゃうけれども現代の中で経験した様々なイニシエーションもあります。
中には終わってから「あぁこれはイニシエーションだったのか」と気づいたケースもあります。
某神社の奥宮、関東平野が一望できる断崖絶壁に立たされたり、
結果を恐れずに行なってきた神事心霊的数々のこと、
どこまでがイニシエーションか既にわからないものも数多くあります。
多分、これから多くの人が人生の中でイニシエーションを経験するであろうけれど、
ひとつとして同じ体験はないだろうことだけがわかっています。
ただ、生き続けて霊的に先に進むことを選択した人には
その人の段階に合わせたイニシエーションが現れるということです。
これを一つ一つクリアして行った先に五次元の世界があなたを優しく迎え入れてくれることでしょう。
私は今、ロイヤルブルーの光線の中で自己信頼というイニシエーションと向かい合っています。
ここにはマスター・エルモリアと大天使ミカエルの恩寵が、行き亘っています。
私にとっては彼らの力を信じることは簡単です。
けれど、自分に彼らと同じ力があることを信じることは難しいのです。
これが私が向き合っているものであり、
すべての人が同じ側面から向き合うものではないことを理解しています。
自己の持つ力への絶対的信頼は他者の評価によって得られるものではないことがネックなんです。
これを通り抜けた後も多分先に述べたとおりに
段階段階のイニシエーションが待っていることでしょうが、
そこを通り抜ける楽しみを胸にいっぱい、両手いっぱいに抱えて進んで行きたいと思っています。
コメント 0