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アセンションしたセクシャリティ [アセンション]

私は週二回行なわれているスタディグループに出来る限り参加しています。
それは、様々なメンバーがいたりいなかったりということがあり、
勉強する内容もメンバーに合わせて前後したりしています。
そのことが、とても自分の理解を進めることに役立っています。

以前書いた通りにお一人様の私にとって、パートナーと生きることは多くの課題を含んでいます。
そもそも、2人で生きる必要性も理解しがたい所があるのです。
さらには、セクシャリティーという側面の学びにはパートナーの存在は必要不可欠です。
「レムリアの真実」を繰り返し読みながらも、
三次元上では一人で生きている私には理解が追いつかないことが多かったのが、
「和合の神殿」の章です。

この章の中では次元上昇した人々にとっての愛の交換の様子が描かれています。
それは三次元的な性的結合の様子とは、随分違ったものです。
その合一のエネルギーが創造主のエネルギーと溶け合う様子から私が結びついた理解は、
「理趣経」でした。

仏教の真言宗が長い間秘密としていた経文の一つですが、
中途半端に読むと誤解を招くから、以前はある程度修行が進んで初めて
目にすることができるようになっていたらしい。
そのなかにある「妙適清浄苦、これ菩薩の位なり」という部分が、
この理解に重なってくるわけです。

「妙適」はセックスにおける1番気持ちがいい状態をさす言葉であるという。
かって、「和尚」も人間がセックスの快感を求めるのは、それが悟りの快感と同じものである
からだと著書の中で書いていたこととも符合する。(「セックスから超意識へ」から)

三次元の性的結合(セックス)という行為にはの感覚が付き纏っている様に思えます。
この恥は、アセンションしていく過程の中で癒されるべき項目の一つとして挙げられています。
本来、愛し合うという行為は恥ずべき行為ではないはずです。
ならば、その行為の表現の一部でもある愛する者との合一は、恥ずべき行為ではありえないのです。

ここにも社会として、個人として癒されていく必要性のある部分が見えてくるのです。




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