母性(包含するエネルギー) [ヒーリング]
私はこのところフラワー・エッセンスで女性の原型に働きかけるものを飲んでいます。
というのも、私は母親像としてのものを確立できる育ち方をしていない上に、
ここに強烈なトラウマを受けているからです。
これは残念ながら私の母が母親を知らない生い立ちであったことにも原因があります。
祖母は、母を出産した時点で結核にかかっていたことがわかっていたため、
感染を心配した親戚の手で母は育てられた人だったのです。
そんな生い立ちであっても母がとても情の深い親であったことは、
母を知る人なら皆疑うことはないでしょう。
それでも無条件の愛は受け取ることを経験することのなかった人が簡単に示せるものではないのです。
私の生い立ちにはもう一人の女性が母親代わりとして関わってきます。母の親友です。
親戚以上の深いかかわりをしてきた家族であるその人が私に愛情を持って、
接していることは私にも理解できています。
けれど、この人も母親に育てられることのない生い立ちの人なのです。
2人も母親としてのモデルになる人がいたら、簡単に母親像の確立ができるというものでもないのです。
私に関わった2人は、2人とも全く同じ部分を知らない人達だったのです。
無条件に相手を受け入れる、すべてを包み込む力が母性としての女性エネルギーなのですが、
これが上手く働いていない時は大抵、男性エネルギーの切り捨てる力を人は使うのです。
「あなたがいい子にしていれば私はあなたを大切にするわ。」という、
条件付けの愛というのは、
「いい子にしなかったら知りませんよ」という、切り捨てる力でもって相手と接しているのです。
このような親から子供は安心することよりも不安を多く学びます。
私の見えざるものが見える力は、二人にとってはいい子ならざる側面でした。
親から見捨てられる怖さに見えなくなるという選択しか持てなかった私は、
ありのままの自分は受け入れてもらえないというトラウマを作り出したのです。
母親としてのモデルが歪んでいるという意味がわかりますでしょうか。
大なり小なりこういう経験は皆あるものだと思います。
そのままでも生きていくのに支障はありません。本人が苦労を抱えやすいだけです。
ただ、私はセラピストとして、ヒーラーとして生きていくことを選択しているから
自己の中の歪みをそのままにはしておけないだけです。
エッセンスをこのテーマで飲み始めてすぐに母親変わりの女性から呼び出しがかかりました。
私は今月末に受ける精密検査後、
障害の級数が下がる(重度が上がる)予定になっているのです。
これは私の症状が悪化したとかいう話ではなく、
どちらかといえば三十年前に治療を終了してしまった医療判断が間違っていたという種類の話なんです。
「これでも私はあなたのことを心配しているのよ。」と話し始めておきながらも、
「今まで病院に行かなかったのはあなたのせいじゃないの?」と、
私が言うことを聞かない悪い子であるというイメージから脱け出せない会話を展開してきました。
変わらないその姿に内心苦笑しつつも、いい子でいるための会話を手放したところから私は話を続けました。
私が間違った母親像から脱け出すのもそれほど遠い話ではないでしょう。
というのも、私は母親像としてのものを確立できる育ち方をしていない上に、
ここに強烈なトラウマを受けているからです。
これは残念ながら私の母が母親を知らない生い立ちであったことにも原因があります。
祖母は、母を出産した時点で結核にかかっていたことがわかっていたため、
感染を心配した親戚の手で母は育てられた人だったのです。
そんな生い立ちであっても母がとても情の深い親であったことは、
母を知る人なら皆疑うことはないでしょう。
それでも無条件の愛は受け取ることを経験することのなかった人が簡単に示せるものではないのです。
私の生い立ちにはもう一人の女性が母親代わりとして関わってきます。母の親友です。
親戚以上の深いかかわりをしてきた家族であるその人が私に愛情を持って、
接していることは私にも理解できています。
けれど、この人も母親に育てられることのない生い立ちの人なのです。
2人も母親としてのモデルになる人がいたら、簡単に母親像の確立ができるというものでもないのです。
私に関わった2人は、2人とも全く同じ部分を知らない人達だったのです。
無条件に相手を受け入れる、すべてを包み込む力が母性としての女性エネルギーなのですが、
これが上手く働いていない時は大抵、男性エネルギーの切り捨てる力を人は使うのです。
「あなたがいい子にしていれば私はあなたを大切にするわ。」という、
条件付けの愛というのは、
「いい子にしなかったら知りませんよ」という、切り捨てる力でもって相手と接しているのです。
このような親から子供は安心することよりも不安を多く学びます。
私の見えざるものが見える力は、二人にとってはいい子ならざる側面でした。
親から見捨てられる怖さに見えなくなるという選択しか持てなかった私は、
ありのままの自分は受け入れてもらえないというトラウマを作り出したのです。
母親としてのモデルが歪んでいるという意味がわかりますでしょうか。
大なり小なりこういう経験は皆あるものだと思います。
そのままでも生きていくのに支障はありません。本人が苦労を抱えやすいだけです。
ただ、私はセラピストとして、ヒーラーとして生きていくことを選択しているから
自己の中の歪みをそのままにはしておけないだけです。
エッセンスをこのテーマで飲み始めてすぐに母親変わりの女性から呼び出しがかかりました。
私は今月末に受ける精密検査後、
障害の級数が下がる(重度が上がる)予定になっているのです。
これは私の症状が悪化したとかいう話ではなく、
どちらかといえば三十年前に治療を終了してしまった医療判断が間違っていたという種類の話なんです。
「これでも私はあなたのことを心配しているのよ。」と話し始めておきながらも、
「今まで病院に行かなかったのはあなたのせいじゃないの?」と、
私が言うことを聞かない悪い子であるというイメージから脱け出せない会話を展開してきました。
変わらないその姿に内心苦笑しつつも、いい子でいるための会話を手放したところから私は話を続けました。
私が間違った母親像から脱け出すのもそれほど遠い話ではないでしょう。
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