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脱鬼婆 バランスのとれた存在になるために [アセンション]

もう少しオニババについての話をしましょう。
私が何故この本に注目したかといいますと、
私の身近にショーツの類を穿かないで日常生活している人達がいます。
その一人は私の幼馴染ですから年もそう変わりはありません。
何故そんなことが可能なのかと不思議がっていた頃、『オニババ化する女たち』がベストセラーになりました。
本来の健康な女性の体とはこういうことができるのだと現実として認識できることとなったのです。

そして、神道等の世界における「女人禁制」の考え方に対する疑問もこの本は晴らしてくれました。
これらの世界で女性は毎月血を流すから不浄であるという言われ方に不満と疑問が私にはあったのです。
以前のブログで書きましたけれど、吉野の女人結界はあの山に小角がいた頃はなかったはずです。
「女性は修行する必要がない」というのは、昔から言われていたと思いますが、
理由は女性が不浄の存在だからではありません。
女性は出産やSEXにおいて心理学や人智学でいう「至高体験」を得られるからなのです。
宇宙と一体になった個の境界線のなくなった感覚を得られるのです。

「レムリアの真実」の中で表現されている性行為は、これまで私には理解しがたいものでした。
性行為が「神との合一」であることはなんとか理解できても、
自己のセクシュアリティーが女神のエネルギーであるという側面を理解することが難しかったのです。
「オニババ・・・」を読み、本来の身体性が理解できて初めてすべてが繋がったのです。

とても多くの人が自己のセクシャリティーを神の側面とは捉えていないことと思います。
むしろ恥の感覚に繋がるネガティブな捉え方をしている人も少なくないでしょう。
これは、間違った認識、観念になりますのでセカンドチャクラのエネルギーが歪むはずです。

私は以前スーパーの中でドラッグストアのレジを担当していました。
そこで非常に多くの女性が大量に生理用品を買い込んでいくのを不思議に思っていました。
しかし、今なら理解できます。
理由が月経血の量の多さであれ、尿失禁であれ原因はセカンドチャクラとベースチャクラの
エネルギーの乱れです。
ここを整えずには問題の解決は難しいでしょう。
しかも、この乱れは社会通念としての乱れからきているのです。
私達は女性としての社会性の在り方から問い直す必要性があるようです。


パートナーがいても相手と真摯に神性に向き合う気持ちでしなければ至高体験は得られぬことと思います。
男性のほうも出せばいいなんて態度ではそこにたどり着くのは難しいでしょう。
相手と心からの繋がりなくして至高体験は得られないのです。


現代はお手軽に快感体験が得られるような情報が氾濫していますが、
そこで得られる快感とは三次元的な低いレベルのものでしかありえません。
本当の快感、至高体験にたどり着くためには、
パートナーと互いに肉体だけではなくハートを開いて向き合っていった時のみ
得られるものであるのです。
そのとき2人は神と、全宇宙と一つになっているのです。
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