病気が癒される過程 [治病]
私は病の完全な癒しには、
病気をありのまま受け入れるということが不可欠だと思っています。
しかし、これは言葉で表現するほど簡単なことではないのです。
ありのままに受け入れる「受容」の状態になるには、
人間は死を受け入れるのと同じ「否認」→「怒り」→「取引」→「うつ状態」→「受容」
という過程を通り過ぎなければならないのです。
私の場合「怒り」の時期が長かったのは、はっきりわかります。
小学生の子供にとって級友が目の前で走り回るのを眺めているだけの苦痛は、
半端なものではなかったのです。
何で自分だけが・・・という思いは、かなりの期間自分の中にあったといえます。
そして、医師に止められている鉄棒、跳び箱、水泳、自転車乗りといったことも、
言いつけを守らずにする様子には「否認」の態度も入っていたかもしれません。
「取引」の段階に入ったのは、西洋医学で治すことを諦めた27歳以降になるでしょう。
様々なヒーリングを受け、心の問題に取り組めば肉体は変化し、
病はもっとよくなるはずだと思って自己に取り組んできました。
確かにこの期間私は常識では考えられないような癒しも肉体的に経験しました。
それでも、遺伝子異常なんていう病は、すべてがよくなるという奇跡は、
簡単に得られるものではありません。
そして、昨年何もかもが悪化したかに見える状況になってからの専門医との出会い。
幾つかの精密検査を終えるまでの間、私は軽いうつだったと思います。
やがて始まった導尿生活は私にこの肉体をありのままにみつめ受け入れる
チャンスとなったのです。
理論で知っているこの過程を自分で通り抜ける体験をするのは、興味深いものです。
私が軽いうつですんだのは、一応心を扱う専門家なので、
自分の状態に逆らわずうつを最初から受け入れてしまったからでしょうか。
この間も自分の状態を変えるべくフラワーエッセンスは飲み続けていますが、
全く別物として感情の動きはただそれを見つめるだけにとどまりました。
お一人様人生ですので、基本引きこもっていられますしね・・・。
少し前から自分が「魂の暗夜」という時期に入っているのは、自覚していますから、
自虐発想だけは意識して手放して生活できる所はマインド優先型の利点かもしれません。
この肉体をありのまま受け入れる
批判も非難もそこにむけない
これは意識的に行なわないと意外に難しいことです。
私達は無意識に他者と比べて、もっと足が長かったらとか、もっとウエストが細かったらとか
思って自己の肉体をありのままに愛するということを普段からしていないのです。
ましてや病気が出た時はなおさらです。
健康な時の自分と比べてしまって自己を否定しがちです。
しかし、この健康な自己のイメージの内的な死として、
この変化の過程を通り抜けていくことも可能です。
私にとっては外で健常者と変わらない働き方ができる自分を手放すという
変化を受け入れることともなりました。
人間は死んで初めて生まれ変わることが出来ます。
現在私は新しく生まれなおすための準備をしているところなのです。
病気をありのまま受け入れるということが不可欠だと思っています。
しかし、これは言葉で表現するほど簡単なことではないのです。
ありのままに受け入れる「受容」の状態になるには、
人間は死を受け入れるのと同じ「否認」→「怒り」→「取引」→「うつ状態」→「受容」
という過程を通り過ぎなければならないのです。
私の場合「怒り」の時期が長かったのは、はっきりわかります。
小学生の子供にとって級友が目の前で走り回るのを眺めているだけの苦痛は、
半端なものではなかったのです。
何で自分だけが・・・という思いは、かなりの期間自分の中にあったといえます。
そして、医師に止められている鉄棒、跳び箱、水泳、自転車乗りといったことも、
言いつけを守らずにする様子には「否認」の態度も入っていたかもしれません。
「取引」の段階に入ったのは、西洋医学で治すことを諦めた27歳以降になるでしょう。
様々なヒーリングを受け、心の問題に取り組めば肉体は変化し、
病はもっとよくなるはずだと思って自己に取り組んできました。
確かにこの期間私は常識では考えられないような癒しも肉体的に経験しました。
それでも、遺伝子異常なんていう病は、すべてがよくなるという奇跡は、
簡単に得られるものではありません。
そして、昨年何もかもが悪化したかに見える状況になってからの専門医との出会い。
幾つかの精密検査を終えるまでの間、私は軽いうつだったと思います。
やがて始まった導尿生活は私にこの肉体をありのままにみつめ受け入れる
チャンスとなったのです。
理論で知っているこの過程を自分で通り抜ける体験をするのは、興味深いものです。
私が軽いうつですんだのは、一応心を扱う専門家なので、
自分の状態に逆らわずうつを最初から受け入れてしまったからでしょうか。
この間も自分の状態を変えるべくフラワーエッセンスは飲み続けていますが、
全く別物として感情の動きはただそれを見つめるだけにとどまりました。
お一人様人生ですので、基本引きこもっていられますしね・・・。
少し前から自分が「魂の暗夜」という時期に入っているのは、自覚していますから、
自虐発想だけは意識して手放して生活できる所はマインド優先型の利点かもしれません。
この肉体をありのまま受け入れる
批判も非難もそこにむけない
これは意識的に行なわないと意外に難しいことです。
私達は無意識に他者と比べて、もっと足が長かったらとか、もっとウエストが細かったらとか
思って自己の肉体をありのままに愛するということを普段からしていないのです。
ましてや病気が出た時はなおさらです。
健康な時の自分と比べてしまって自己を否定しがちです。
しかし、この健康な自己のイメージの内的な死として、
この変化の過程を通り抜けていくことも可能です。
私にとっては外で健常者と変わらない働き方ができる自分を手放すという
変化を受け入れることともなりました。
人間は死んで初めて生まれ変わることが出来ます。
現在私は新しく生まれなおすための準備をしているところなのです。
最後の文が共感できました!
僕は昨年精神的に一度死を経験したので
今は新しく生まれ変わって歩き始めたトコロ
です!
当たり前のコトのように感じたものや景色が
こんなに色鮮やかに見えるなんて思いもより
ませんでした、つらかったけどいい経験でした。
by shin (2009-02-18 07:59)
こういう経験は人間として貴重で
自己をより深く、よりひろく、人間性を高めていけるものと
思っています。
経験している時はしんどいですが、通り抜けられれば
人生のギフトとなりうる
ある意味ではお得かもしれませんね。
shinさんのフォトが鮮やかなのは、
ご自身の感覚から来るものなのでしょうね。
by A・ラファエル (2009-02-18 09:46)