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様々な依存 [依存症]

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大掃除をしていて見つけたものがあります。
それはオーラソーマやフラワーエッセンスを学んでいる時の資料です。
その中に下記のようなものがありました。

『クライアントの感情を処理する時

不安は答えを切望する。
問う者に答えを与える者は、
問う者を答えを与える者に縛りつける。
しかし、
問う者自身に答えを見出させる者は、
問う者自身を、熟練の回答者にする。

ハリー・A・ウィルマー』


先日のコメント欄のやりとりを見て、
私のことを冷たい奴とか、業突張りとか思った方もいたかもしれない。
どのようなジャッジを下すかは、見た者の自由です。
でも、私はこれまで書いてきたように、
自分に依存させる気はないので、
私のセッションを受ければ楽になります的なアドヴァイスは、したくない。
そして、対価というこの世のバランスの大切さも知っているから、
無償で出来ることの限度があることをも理解している。
だから、セッションの割引とかも無条件で行うことではないと思っています。

セッションをしても、そこで話すことは原則、
答えを与えることではありません。
ただ、勝手にこちらを巫女か予言者のように扱い、
私の言葉を託宣のように扱う人は見受けられます。
けれどもこれは、ヒーリングということの本質を誤解しているといえます。
ヒーリングは自分が変わってもいいと思わない限り起きないのです。
もしも、クライアントの意志に関係なく癒すヒーラーがいたとしたら、
それはヒーラーとは呼べず、侵略者に値するのです。


依存的態度を見せる人の中に比較的多く見られる傾向は、
「悪いのは私じゃない」です。
ヒーリングの現場では決して通用しない観念です。
何故なら、現れてくる全ての事柄に自己責任があるからです。
タグ:依存症
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コメント 5

えみ

それは先日の私へのコメント返信の事ですね
夏以来ずっと葛藤し
その答えを探すため 
それに打ち勝ちたいと思い
自分の限界にチャレンジしようとジョギング大会へ出るためトレーニングしてみたり
これは予想よりいい結果でした
外国で暮らしているため毎日学校で3つの言語を勉強しています
依存と言われると何でも自分で解決したい私にとってちょっとショックでした
コメント返信を見た時は確かに突き放された気がしました
たしかにはっきりとした答えを聞きたい知りたいと思っていました

問うもの自身に見出させることが熟練の回答者にする
なぜこういう事態になったのか自分の何がいけなくて引き寄せてしまったのか
以前に自分への信頼不足だとおっしゃいました
もう一度よく考えて見ます
ありがとうございます
by えみ (2011-12-16 04:06) 

えみ

適切に他者と関われない状態。。
正にその通りです
ここに住んでいると日本人の奥様達との付き合いがむずかしく
不快な思いをするばかりで日本人との関わりを避けて外人とばかり付き合っていました
もしも外人とも言葉がすべて通じたなら日本人の奥様と同じように思うかもしれません

このままだとますます孤立し一人で生きてるのか?
そんな話を少し前にだんなさんとしました

だんなさんは私にとって一番の理解者で
気付かせてくれる人なのだなと改めて思いました
by えみ (2011-12-16 09:22) 

A・ラファエル

えみさん

あなたへのみに書いているのではありません。
共時性というものが働いていますから、
別の側面からこのことに関わる人々もいらっしゃいます。
>依存と言われると何でも自分で解決したい私にとってちょっとショックでした
これも反依存と呼ばれる状態で、依存と問題の根は同じです。
適切に他者と関われない状態を表しているからです。

自分を不快にする人は自分に多くの学びのチャンスを
与えてくれている人です。
今は出来なくてもいつか感謝できるといいですね。

ちょっと文章が気になって直そうと思ったら、
すでに返コメをいただいていたのですね。
失礼いたしました。


私は外国では暮らしたことがありませんが、
あなたと同じようなことを書いていた方が以前にもいらっしゃいました。
その方はこの暮らしで一番仲がいいのは外国の人だとも・・・。

たとえ旅行であっても外国にいると、日本人であるということが
どういうものなのかを考えさせられます。
そうしたグローバルな視点で物事を見て、
自分が心からしたいと思う生き方をするのが一番ではないでしょうか。

ただ、何でも自分で・・・という生き方は、日本社会では一番反感を買います。
実際の所それは思い上がりなのです。
食べ物や着る物、何一つとっても他者の力を経ずして手にすることはないでしょう。
見えないところで、必ず誰かの世話になっている、
人と関わり合っているのです。
しかし、日本人は村社会から発展してきたので、
この感覚が強すぎるのも事実です。

そして、自分がいる場所の集団に交わらなかったら、
その場所にいる意味がないとも言えます。

自分にないものを学ぶチャンスと、
考えてみてはいかがでしょうか。
by A・ラファエル (2011-12-16 09:57) 

ikuko

「自分が変わってもいいと思わない限り」っていうところ、心に響きました。
心のどこかに「幸せ望んではいけない」って思ちゃうところがあるのです。
なんでしょう・・自分のことばっかり言うのはいけないというか。。
(うまく表現できませんが。)
でも、ほんとは、そうじゃないんですよね。望んだものしかやってこないし、
望んでないものも、いっぱいやってくるけど、
そこで気づかせてもらえることもいっぱいあって・・。
・・・まだまだ「気持ちの持ち方」の修行中です。
by ikuko (2011-12-16 11:56) 

A・ラファエル

ikukoさん

親にたっぷりと愛情を注がれなかった子供は、
無意識のうちに自分が悪いという罪悪感が植え付けられます。
結果、自分が幸せになることを遠ざける人間に育つのです。
自分のことばかりいうことに気が引けるのは、
自己価値観が低いからです。
これもほとんどは親がらみで植え付けられます。
こういう無意識的なものは意識するだけでは改善が出来ないのです。
by A・ラファエル (2011-12-16 13:04) 

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