はじまりの闇 [親と子の葛藤]
私がヒーリングの依頼を受けた方々の親に問題がないことは、ありません。
私が独身者だからか、親が子のことで悩んで相談に来るケースは、
圧倒的に少なく、
子が親から受けたものにより悩み、傷つき相談に来る場合がほとんどです。
それでも、自分の悩みの根本が親であると気がついている人はあまりいません。
多くの人々は、親達は愛し合っているのだという幻想を抱いているのです。
だから、親に問題のはじまりがあるとは、考えられないのです。
けれども、膀胱炎をもとに原因を遡って探った私がそうであったように、
結婚して子を成したとしてもそこに男女間の愛が本当にあるとは、限りません。
クライアントの多くが血の滲むような心の痛みと向き合うことになっているのは、
親からの愛が得られなかったという思いによるものです。
心理学的に、人間は同性との付き合いには同性の親とのパターンが、
異性との付き合いには異性の親との個人が持つ関係性が表れます。
ですから、親子関係がうまくいっている場合は、
その人は他人とも上手に付き合えるということになるのです。
私はオーラソーマのB36をバースディボトルに持って生まれてきていますから、
親達が真に愛し合っているときに出来た子供です。
けれども、私という魂が両親の愛というものにトラウマを抱えていたから、
自分の両親が本当に深い愛に結びついたものであるのが、私には見えませんでした。
私がヒーリングを学び、無条件の愛というものを理解できるようになって初めて、
今生の両親二人がどれほど実は深く愛し合っていたかを理解したのです。
このように、
自分の心の眼が開かなければ真実の姿は見えないものなのです。
過去世の私ほどではなくとも、
女性達は家という重責を背負わされて、婚姻関係のなかで、
男性を受け入れる必要性を迫られる女性の痛みは、
子を素直に愛せないという心の闇に繋がってしまいます。
結果は子が親からの愛を確信できないことへと繋がっていきます。
とても、哀しい闇の連鎖です。
そろそろ、人間がこのことに目覚めて変えていきたいものですね。
私が独身者だからか、親が子のことで悩んで相談に来るケースは、
圧倒的に少なく、
子が親から受けたものにより悩み、傷つき相談に来る場合がほとんどです。
それでも、自分の悩みの根本が親であると気がついている人はあまりいません。
多くの人々は、親達は愛し合っているのだという幻想を抱いているのです。
だから、親に問題のはじまりがあるとは、考えられないのです。
けれども、膀胱炎をもとに原因を遡って探った私がそうであったように、
結婚して子を成したとしてもそこに男女間の愛が本当にあるとは、限りません。
クライアントの多くが血の滲むような心の痛みと向き合うことになっているのは、
親からの愛が得られなかったという思いによるものです。
心理学的に、人間は同性との付き合いには同性の親とのパターンが、
異性との付き合いには異性の親との個人が持つ関係性が表れます。
ですから、親子関係がうまくいっている場合は、
その人は他人とも上手に付き合えるということになるのです。
私はオーラソーマのB36をバースディボトルに持って生まれてきていますから、
親達が真に愛し合っているときに出来た子供です。
けれども、私という魂が両親の愛というものにトラウマを抱えていたから、
自分の両親が本当に深い愛に結びついたものであるのが、私には見えませんでした。
私がヒーリングを学び、無条件の愛というものを理解できるようになって初めて、
今生の両親二人がどれほど実は深く愛し合っていたかを理解したのです。
このように、
自分の心の眼が開かなければ真実の姿は見えないものなのです。
過去世の私ほどではなくとも、
女性達は家という重責を背負わされて、婚姻関係のなかで、
男性を受け入れる必要性を迫られる女性の痛みは、
子を素直に愛せないという心の闇に繋がってしまいます。
結果は子が親からの愛を確信できないことへと繋がっていきます。
とても、哀しい闇の連鎖です。
そろそろ、人間がこのことに目覚めて変えていきたいものですね。
タグ:親と子の葛藤
私が幼い頃、母は私と妹をおいて 実家へ帰ろうとしたらしいです。 これは母の口からではなく 親戚の人から聞いた話なのですが。
「あんた達がいるから、私は生きている。あんた達のために生きている。あんた達がいるから、私はこの家に居てる」母の口癖でした。
「お母さんは、自分のために自分の人生を生きてるんじゃないの・・・???」その口癖を聞く度に いつも腑に落ちない重い気分になっていました。
自己犠牲みたいなものを感じましたし。
大人になって子供を生んだら母親になったら
子のために行きるのかしら・・・私は そんなのイヤだなあ・・・私がお嫁さんになったら子供はいらないや。
そんなわけで、私は子供を生まない人生を選んだのです。
by Shield-Dolphin (2012-05-03 22:14)
Shield-Dolphinさん
それは、連鎖というよりも負の遺産ですね。
親の在り方でそのように自分の人生を決められてしまうのは、どうでしょう。
そろそろ親から自由になってもよろしいのではないでしょうか。
by A・ラファエル (2012-05-03 22:36)
戦争って嫌いです。
その原因を辿ってみたら、親の離婚に行き着きました。
by ぞぴー (2012-05-03 22:41)
ぞぴーさん
あえて突っ込ませていただきます。
戦争が好きなのは、現場にでない政治家と武器商人だけでは?
親が争う姿は子供の心を酷く傷つけます。
では、あなたはそこからポジティブな側面として、
人と争わないを学んだのでしょうか?
by A・ラファエル (2012-05-04 08:32)
自分が携わった現場では、事前に争いの種を摘み取る作業を、人知れず続けて来ました。
それは実に根気のいる仕事で、自分自身の忍耐力が試されるものでしたね。
20歳代の頃には、先頭切って、現場に嵐を巻き起こしていたんですよ・・・(^^;
by ぞぴー (2012-05-04 09:33)
ぞぴーさん
私の質問の答えにはなっていませんよ。
こういうのをコミュニケーション障害と呼ぶ人もいます。
私はあなたが仕事の現場で何をしているかなんて尋ねていません。
両親の争う姿を見て学んだことに、ポジティブなものは見つけられたかと
尋ねたのです。
答える義務はもちろんありませんが、
違う答えで返すのがあなたのパターンであり、歪みとも取れます。
一般的に聞いたことに答えがイエスでもノーでもいいから返ってこない
やりとりは他者を疲れさせるものです。
自分を疲れさせる人の側にいたいでしょうか?
by A・ラファエル (2012-05-04 10:14)
私は、コミュニケーション障害なんですね。
本人の気付かない点を指摘してもらえるのは、とても助かります。
現在、宿泊先に備え付けられてるパソコンで、コメントを閲覧しながら考えているのですが、帰宅後に改めてコメントします。
失礼致しましたm(_ _)m
by ぞぴー (2012-05-04 20:47)
ぞぴーさん
言葉の意味というのは時代と共に微妙に変化するようで、
現在「障害」という表現は身体的な機能不全がある場合を指すものになっているので、あなたのような状態は含まないようです。
誤解させる表現をしてしまったことをお詫び申し上げます。
正しく表現するなら、
「コミュニケーションに難あり」という感じになるかもしれません。
これは私も以前よくやっていたことなのですが、
「あなたが行ったのはA県ですかB県ですか」
と訊かれたのに対して、
「A県は蟹が美味しかった」と答える。
自分はA県に行った時の感想を言っているのだから、
質問に答えたつもりになっていますが、
この答え方では、B県と違って蟹が美味しかったともとれるもので、
相手はAもBも行ったのでそう答えているのか、
Aの感想を言っているからAに行ったのかと、
質問の答えを推し量らなければならないのです。
ですから相手は余計な思考を必要とするので疲れる会話と
なるものです。
こういう表現で私が伝えたかったことは伝わりましたでしょうか。
by A・ラファエル (2012-05-04 23:48)
「両親が争う姿を見て学んだことに、ポジティブなものはみつけられたか?」という質問だったのですね。
それに率直に回答すれば、コミュニケーションに難ありと、捉えられずに済んだのですか。
実は、両親が争う姿を見たことがないんです。
母が父の悪口を言っているのは聞いたことがないし、誰かに言っていたという話しも聞いたことはありません。
母が亡くなった後に、父が母のことを悪く言ったのは聞いたことがあります。
ですが、母が父と別れようと思った原因は、父の浮気だったんですよ。
なんだかまた、質問と回答が平行線になってしまいそうなので、ここでのコメントは終わりにします。
どうも失礼しましたm(_ _)m
by ぞぴー (2012-05-05 16:41)