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生き延びる [親と子の葛藤]

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大方の人にとって「生きる」ということは、それほど難しいことではない。
ここでいう生きるは、生存するの意味です。
サバイバルの基本、生きてあることのみを指しています。

心が苦しくて生き辛い人は世に沢山いるでしょう。
しかし、その人達でも身体が勝手に死に向かうということは、ない。

ところが、私のような場合はそれが起こりうる状況だったのです。
だから、何遍死にかけたかなんて覚えていないわけで、
無事大人になれたこと、
今生きてここにあることが
大いなるチャレンジであり、奇跡に値することです。

私は、生き続けることがある意味で医学の常識を覆すチャレンジになっています。

というのも、私は二分脊椎症に存在する「ローバー基準」により、
治療の甲斐なく死ぬ命と見なされていたことを知っているからです。
最も、こんなものが存在すると知ったのは、大人になってからのことです。
私本人は、子供の頃ドイツから来日した医師による手術の話が、
持ち上がったことと、それを受けることを両親が断念したことしか覚えていません。

もちろん、手術というのは快方に向かうために受けるものなのですから、
受けても死ぬのでは、このような基準が設けられるのも理解できない話ではありません。

ともあれ、
私の両親は、手術を受けさせないことでの私の延命を図ったわけです。
行動を起こさないことで成功を手にしたチャレンジということになります。


このことにより、子である私が学んだものは、
生きて存在することだけで価値があるというサバイバルの究極克服と、
行動しないことでの成功という二つの大きな側面があるわけです。

子供はどのような状況であれ、親から生きる術を学びます。
特に、今回ここに書いたようなことは、
顕在意識ではなく、潜在意識に情報としてすり込まれるタイプのものです。
前者は潜在意識でどのように働こうとまったく問題がありません。
けれども、後者はそうはいきません。

人生をかけた選択をしなければならない時に、
「何もしない」という行動が自動選択されるのってどうでしょうか?

このような方法で本当に成功を実感する体験が得られるでしょうか。



私の両親があの時、手術を受けさせなかったことは、
私の生存というものにおいては成功をもたらしていますが、
人生の成功という面においては、
私は何も得られない人生に結びついているとも言えるのです。

私の両親が私に望んだことは、
「ただ、生きていてさえくれればいい。」
だったのは、私も知っています。

親が望んだ幸せと、
子である私の現実の幸せは、やはり一致するものとは言い切れないのです。
タグ:サバイバル
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