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カルマをどう捉えるのか [カルマ]

カルマというものを説明する時、私は「やり残しの宿題」という表現をします。
いつやるかを自分で決めるところがあるからです。
けれども、サターンリターンのように、現れてくるタイミングが決まっているものもあります。

カルマにはまた、仏教的な表現の因果応報という側面もあります。
この表現における時間感覚は幅広く、「因」となるものは、
前世にあることもあれば、今この瞬間のこともあるのです。

さらに、「業」というべきものもあります。

いろいろなカルマがあり、それぞれに性質が違うわけです。


親の介護というのは、医学の発達がつくりだした社会的な「業」と、
私は考えています。
命を長らえさせることに発達した現代医学に頼り切った生き方のなれの果てに見えるのです。
肉体にのみ目を向けるなら、
西洋医学のアプローチは否定するものではありません。
けれども、私が日常においてしているように、
人間を物質体と感情体と精神体と霊体の総合存在であることからみてしまうと、
西洋医学はこの全部をカバーしているとは言えないでしょう。
そのカバーしきれない面が露出してくるのが人生の後半、
あるいは「老い」に生命が向かいだした時からであることが多いのです。

介護には依存という大きな問題がつきまとっています。
これについても、私は当たり前のように感じています。
そもそも、ほとんどの人が現代医学に依存して生きているので、
この依存というテーマを学び、卒業できていないのです。
向き合うことを棚上げされていたものが、
ある日突然膝の上に落ちてきたようなものでしょう。

棚上げされている間に発酵して、さらに取り扱いがやっかいになっている状態で、
向き合うことになってしまったそんな印象なのです。


何時も言っているように、現れてきたカルマとどう向き合うかに正しい答えはありません。
ご自分にとっての最善を尽くされることを祈るばかりです。
選んで尽くした方向によっては、
カルマを消すこともあれば、深めるだけのこともあるでしょう。
もし、深めてしまったとしてもそれはただ学びが足りていないだけですから、
魂の学びを深めればいいだけなのです。

私達は魂を学ばせるために、この世に生まれてきているのですから。
タグ:カルマ
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