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健常と障害の狭間のジレンマ [人生のチャレンジ]

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2018年3月14日 天才と呼ばれる人がひとり、この世を去った。
理論物理学者のホーキング博士です。
私は一度も生でそのお姿を拝見することはなかったのですが、
映像では車椅子に乗って話している画像を何度も見かけました。
博士は22歳の時にALSという神経疾患に罹患したそうで、
それまでは普通に健常者として人生を歩み、学生していたわけです。
これがなかったら、天才的な頭脳を育てることが出来なかったかもしれない。
そういう問題がここにはあると「みわよしこ」さんは書いている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20180314-00082737/

このコラムを読んで、頷ける部分がいくつかある。
私は先天性の障害を持って生まれてきましたが、
生まれてきた当時は、医学的な認知度もこの障害になく、
障害として認める制度が整ったのとほぼ同時に小学校への入学という
タイミングを迎えたので、運動能力に障害があっても学習能力には障害がないため、
障害者手帳の受け取りを拒否(これは障害者として扱われることの拒否)して、
修学旅行の類は参加できなかったが、普通に公立学校へ通い、高校までを卒業した。
通院も国立小児病院の医師による誤診によって診療が小学五年で終了されました。
この当時は二分脊椎症は、遺伝子異常であるとはわかっていなかったから。
本来治るはずのないものを治った扱いされて大人になったのが私なのです。

こんな私が障害者手帳の交付を受けたのは、
二十代の終わりに腰痛に倒れ数年寝たきりになってしまった時、
あまりに回復が遅い私に父が仮病を疑うので、医師に相談して交付してもらったのです。
その後、生活保護を受けるにあたり、行政からの要請で精密検査を受けに行き、
奇跡的な縁で二分脊椎症の専門医と出会うことが出来たことにより、
私の障害認定は両下肢肢体不自由6級に内部障害3級が加わることになったのです。


つまり私は先天性の障害者として生まれたにも拘わらず、
健常者のように生きてきた人だったのです。
おかげで、専門職である現在の仕事に就けているのかもしれない。
けれども、外泊が難しいというのは、子供の頃から現在も抱えている課題で、
オーラソーマをここまで学び続けてこられたのも一重に都民だからと思う。
受講会場へ自宅から通えるから学び続けてこられたのです。
そのオーラソーマもティーチャーになろうとするならイギリスの本校へ
一週間泊まり込む必要があるのでこれ以上のキャリアアップには、
高く険しい壁がある。
就寝時は、おむつを使用するとか、
トイレは絶対洋式だから大丈夫としても、
必要な医療器具の持ち込みとか持ち込みが難しいものの
イギリスでの購入とかが片言以下の英語では、無理。

こういう時には肉体の障害はやはり障害以外の何者でもないのです。

ホーキング博士も自身のもつハンデとそれを取り巻く現状の色々の間で悩んでいたのなら、
私が悩むのもおかしくはない。
むしろ当たり前!?
ハンデがあるのに、
キャリアの前にはハンデがない人と同じ競走をしなければならないのだから・・・。

けれども、出来る仕事を持っている私は障害者としては幸せ者のようです。
ほんとうにどこに視点や基準を置くかで世の中は見えてくるものが違うのです。


博士のご冥福をお祈りいたします。




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コメント 2

ikuko

ホーキングさん、亡くなられたニュースはショックでした・・
ちょうど、少し前にhuluでインタビューの映像を
見たばっかりだったので・・・
ご冥福をお祈りします。
by ikuko (2018-03-16 12:56) 

A・ラファエル

ikukoさん

彼は地上でのお役目を終えられたのでしょう。
彼は彼でいるだけで他者の心を動かす存在でしたから。
by A・ラファエル (2018-03-16 20:47) 

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