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呪詛返しはするだけ野暮 [アセンション]

CIMG2297.JPG
さすがに雑炊に飽きてきたところです。
と言ってもまだ常食には戻せません。
前歯が使えないだけとはいえ咀嚼をしっかりしようとすると、
前歯同士がぶつかることもありますから、これを避けるために、
あまり咀嚼しないで食べられる物に食事が偏っているわけです。

さて、クリスマスの転倒は、偶然の事故です。
誰かに突き飛ばされたわけでもない。
ただ、転んだだけにしては大怪我になってしまったけれど、
不思議と私のなかにこれで終わったという感覚がありました。

終わったって何が?と思われる所かと思いますが、
カルマというか私への攻撃というか、そういう諸々のもの。

実際、数年間患わされていた右肩の不調は、呪詛でした。
医療氣功を学んだ幼なじみには、
私のサトルボディに埋め込まれた木の釘か杭のようなものが、
見えたそうです。
しかも、それに私が気がつかないように、その上をコンクリートコーティングして
あったと言っていました。
釘か杭・・・まさに厭魅の典型ですね。
通りで肩全体がこわばって腕が動かなくなっていたはずです。
実際、振り返ってみれば、肩に不調が出てから、
部屋のなかに蛾が大量発生するとか、
常識では考えられないことが起きていましたね。


この呪詛は誰がやったかの見当もつくのですが、
これが判っても私にはどうでもいいことです。
呪詛返しはしないから。

友人Yちゃんには、こういう攻撃してくる人がいることを話すと、
「どうして怒らないの?我慢する必要はないんじゃない?」
等と言われたけれど、我慢もしていないし、怒ってもいないのです。

呪いに呪いを返すのが常識と思われていますが、
これはカルマの作り合いになって抜け出せなくなるだけ。
相手に返さない方法として、
他に転嫁させるも術者ならありかもしれませんが、
私の今の人生はそういうものとは違う学びを深めているから。

癒しを学ぶのが目的の人生だから、
呪詛をも癒すことで解消するのを体験したのだと思います。
理屈で考えると呪詛のパワーって黒い力のように思えますが、
そういうのをなんとかしようとする時に必要なのは、
浄化の白い光ではなかったりします。

実践しているのと頭で考えるのは一致するわけではない部分です。


私を呪った人に私が呪詛返しを行わなかったとしても、
相手は必ず報いを受けます。
それがどういうタイミングになるかは計り知れませんが、
他者を意図して傷付けるという行為は、
宇宙の法則として自分を傷付けるものとして返ってくる行いなのです。
それが肉体を傷付けるという直接的行為以外であっても、です。

だから、私自身を傷付ける行為に繋がる呪詛返しは、
選択肢として考えられないのです。
私はこの人生で3次元は卒業すると決めているのですから。
輪廻から抜け出せなくなるカルマをつくる行為をしたいとは思わないのです。

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ikuko

なんだか・・怖いですね・・・
昔、祖母にあまり強い感情を誰かに対してもたないようにって言われたのを思い出しました。生き霊として相手についちゃうからって・・
by ikuko (2019-02-19 12:12) 

A・ラファエル

ikukoさん

お祖母様の言っていることは事実として起こります。
強い感情がどのようなものであれ・・・。
ですから、人気のある芸能人なんて生き霊たくさんつけていますね。
あれはそういうのに負けないタイプの人しか続けられない仕事だと思います。
by A・ラファエル (2019-02-19 17:05) 

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