左足首の捻挫 [インナーチャイルド]
先日均整法の施術を受けて指摘されるまで忘れていたのが、子供の頃の捻挫でした。
癖になるほど酷かった?
どれほどの痛みであったとか、どのくらい歩けなかったとかは、
きれいさっぱり忘れています。
大体左足であったかも覚えていないのです。
でも、私は足裏の反射ゾーンを自分でよく揉む人なので、
指摘された場所、昔捻挫した名残と言われたそこが、異様に固くて、
ボールのようにこりこりになっていて、自分ではこれがほぐせなかったことは、
気がついていました。
さらに、ここが下行結腸の反射ゾーンになるので、
ここの「こり」は便秘に繋がっていたことは知っていました。
ここを特別集中的にもみほぐしたわけでもないのに、
ボールのようになっていたのが消えてしまったのには、驚きです。
酷かったかどうかは覚えていませんが、何故捻挫したかは覚えています。
すごく嬉しいことがあって自宅のなかではしゃいで飛び回り、
いつものように水槽にぶら下がったら、水槽ごとひっくり返って捻挫したのです。
この時、水槽は母がかわいがっていた熱帯魚が全滅して空になっていました。
中身が入っていたときはびくともしないでぶら下がれていたので、
あんなことになるとは、小さな自分には予想できませんでした。
さて、卵が先か鶏が先かという話になりますが、
私の左足首は、前世の死ぬ間際に強く掴まれてくじいていた場所です。
つまり、オーラとも呼ばれるサトルフィールドボディのいずれかのレベルには、
この傷は記憶があったことでしょう。
癒される間もなく私が死んでいるからです。
そういう場所なので、生まれ変わってもそこに傷を受けるのです。
サトルフィールドボディは、肉体の形成に関わっていますから。
ですから、過去世を癒すことは時にとても大きく現世の自分を癒すことになるのです。
この小さい頃の体験をもとにエッセンスを選んでみましたら、
イエローフラッグ、パープルエレモフィラ、カウキックスが出てきました。
イエローフラッグは、「辛い環境下でも陽気で明るく」というメッセージを持った花ですが、
私にはこういうところが全くありません。
辛いときは辛いと顔に出します。
これはこれでハートに忠実なのはよいのですが、
人間の脳は自己の表情筋の動きと連動したところがあり、
口角を上げていると「笑っている」と脳が判断して、
気持ちが明るく前向きな状態に早くシフトすることが、
最近の研究でわかってきています。
私のように辛いときに辛い顔をしたまんまだと、
嫌なことをながく引きずることに繋がるわけです。
つーまーりー、不幸を引きずりやすい体質に現在なっているわけですね。
私は、本来カウキックスにでているように楽観主義者なのに。
小学校に上がる前の捻挫体験が、
私の人生を長々支配していたと考えると、ため息ものですが、
何事も学びであるということで、
気持ちを素直に表現することと、
意識的に笑顔をつくって気持ちを切り替えることを
バランスよく取り入れて生きていこうと思います。
絶望のハート [インナーチャイルド]
先週から特にハートの癒しに集中せざるを得ない日々です。
ハートチャクラの何処かのレベルが下がってくると、咳が止まらなくなってしまったり、
激痛で呼吸するのも苦しくなったりします。
痛みの酷い時は、「私死ぬのかも・・・。」と、一瞬思うほどなのですが、
痛んでいるのが心臓ではなくて、チャクラのある身体の中心の位置なので、
違うことが識別でき、意識は奇妙に冷静です。
癒しても癒しても痛み出すこの原因は何処にあるのかとハイアーセルフに尋ねたら、
3才のインナー・チャイルドをまず示されました。
私の3才って半端なくて、これまでに何度もこのポイントでヒーリングしてきているのですが、
まだ、残っていたのね・・・という気分になりました。
たった3才の子供に何があったかというと、
私のトイレトレーニングがまったく進まないのは、
二分脊椎症のためと診断がついたのがこの年なのです。
(この時代は、遺伝子異常であることを医学がまだ突き止めていません。)
そして、診断がついた時点で、隣町にあった慈恵から紹介され、
国立小児病院へ通うことが決まりました。
年齢が年齢なので記憶に残っていることは少ないのですが、
障害によるものとわからなかった時に、あまりにトイレトレーニングが進まない私に、
母親が少々ヒステリックになっていたことや、
私のせいで洗濯物が多いと、愚痴を言われていたことくらいしか、今は思い出せません。
初めてこのポイントをヒーリングしようとしたのは、バッチのレメディを学んだ後ですので、
10年くらい前でしょうか。
選ばれたエッセンス「オリーブ」に、
自分が衝撃を受けたほどです。
バッチの「オリーブ」は、絶望に対処するエッセンスなのです。
わずか3才にして私は人生に絶望してしまっていたのです。
そして、これがずっと自分の潜在意識の中に埋もれて、影響を与え続けていたわけです。
そう知ると、インナー・チャイルドの影響の大きさがご理解いただけるでしょうか。
ハートは癒されるまでずっと絶望の中にいたわけですから、
私は何をしても心から楽しむことや希望がもてなかった自分を理解できたわけです。
その後も、何回かこのポイントは癒してきていたのですけれど、
どうやら完全に癒さないと自分の体調が戻らないようなので、
いま、集中しているわけです。
私達は次元が上がることで、少しの喜びも大きく心に響くようになります。
そして、少しの痛みも何倍にも感じられるので、
この程度と今までならやり過ごすことが出来たものも、
無視できないほどの苦痛になります。
多分、こういうことで、息が出来ないほどの苦痛に感じられるようになっているのだと思います。
3才というまだ感情も言葉も未発達な時期に、
人生に絶望するような困難と向き合うことになった私は、
自分の感じていたものを表現する術がなかったのでしょう。
ゆえに、咳というハートだけでなく、喉チャクラの不調も連動して出てくるのです。
タマネギの皮むきのように、絶望の下にはショックや孤独などほかに様々な癒すべきものが、
埋もれていたのです。それで、この同じポイントを何度も癒すことになっているのです。
3才というポイントだけでこれですから、
他に何カ所インナー・チャイルドの癒しのポイントが残っているかと、苦笑してしまいます。
私は子供の頃は毎年のように死にかけていたのですから。
記憶に残っているようなポイントは全て癒してきましたが、
今度は、記憶にないポイントを探り癒さねばならないようです。
1人っ子と兄弟姉妹あり [インナーチャイルド]
私には4つ違いだけれど、よく双子に間違われる姉がいます。
姉が年より下に見えるタイプで、私は上に見られるタイプだからです。
最近では、私がかなり年齢不詳な人になっているので、
双子とは言われなくなってきていますが、
姉妹なのは一目瞭然なほどに似ているらしい。
こんな存在が生まれたときからそばにいると、
やはりインナーチャイルドに与える影響は大きい。
親は当たり前のように上と比較して育ててくれるし、
同性なので服もお下がりがほとんどでした。
すると似合うか似合わないかなんて関係ない。
そして、親というものは最初の子供には2番目や3番目よりも、
お金をかけることが統計でも出ているらしい。
はっきり覚えているのは、
姉が20才の誕生日を迎えた時、
父が姉に「おめでとう」と一粒真珠のネックレスを贈っていた。
では、私の時はどうかというと、父は私の誕生日すら覚えていなかった。
すでに大人な私は、前年に母が亡くなっていることや、
父が定職に就けないでいたことも理解してはいるが、気持ちは割り切れない。
さて、そんなこんなの恨み言が言いたくて、
今回これを書いているわけではなく、
どのような親であっても一人っ子の場合と私のように姉などがいた場合は、
ヒーリングすべきものが違う気がすると思うのです。
私の友人には不思議に一人っ子が多かった。
だから、友人には私の感じるものを共感してもらえたことがあまりない。
親が決して子供に平等ではないということすら、
話しは聞いてくれても、感覚的な部分で理解されないのです。
姉は、私の身体が弱かったために、
私の誕生後は母を奪われたと、軽い自家中毒も起こしたらしい。
その姉から見れば、私の親に対する愛情への不満は不快でしかないらしく、
姉とはまず、こういう話を掘り下げることは出来ない。
姉は私とは違い、本質的には右脳派の実は感情優先型なのです。
持って生まれた質も違えば、立場も違うので、同じ親に育てられたはずなのに、
絶対に抱えているものには違いがあり過ぎると感じます。
つまり、ヒーリングすべきポイントが全然違うのです。
例えば、私達の笑い話になっている七面鳥事件。
クリスマスに用意した七面鳥を絞めて料理したことに姉と幼なじみは、
二人で部屋に籠もってハンストした。
けれど、空腹なのは良くないと、差し入れられた料理を七面鳥とわからずに食べてしまった。
「ひどい親達だよね。」と、二人は笑って話す。
私はそこに不在だったわけではない。
朝、その七面鳥にとっての最後の食事になるものを与えたのは私だった。
私は何も言えなくなるほどショックだったのに、
もともと寡黙で食の細い私の様子には、
七面鳥というご馳走の前に、
親達は誰も気づかなかったのです。
同じ事件のなかにあってさえも、受けるものがこれほど変わるのです。
一人っ子はひとりだけで親と向き合わねばならないから、しんどいという人がいますが、
私はこれはそうとも言い切れないと思います。
姉がいるから、祖父母がいたからなどによってむしろ、ヒーリングポイントが増える
そんな気がするのです。
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チャイルドの癒しの難関 [インナーチャイルド]
インナー・チャイルドを癒すにあたってとても多くの人がつまずき、
癒されることに抵抗を示す事柄があります。
ここを超えてしまえば人生が格段に楽になるというのに、
この道は嫌だと他を探そうとする。
なかにはこのことから癒されるのさえも嫌だと拒否をする事柄。
それは「親をゆるす」ということ。
自分が不幸なままでいることで親に責任に気づかせよう、
復讐を果たそうとする人の多さには、
驚きます。
でも、何と言ってもここで暴れているのは、(インナー)チャイルドですから、
言わなくてもわかってよの心理も働いているのでしょう。
私も昔は父親を憎んでいましたから、
気持ちはわからなくもありません。
でも、そんな負の感情を持ち続けている自分が苦しいから、
癒されようと、憎しみを手放しました。
癒されるためなら何でもするくらいの欲求が私にはあったのです。
それは、やはり27才にして寝たきりになるような追い込まれた自分であったから。
普通の生活を取り戻すために、
何でも学ぼう、出来ることは何でもしようと決めたからです。
そうしてこのことから癒された者だから、
他の人のここへの抵抗もよく理解できるのです。
ここでの心の在り方に共通しているのは、「責める心」です。
「自分がこんなに苦しいのはあんたのせい」という、
状態であり、これは自分に責任があることを理解できていない状態なのです。
ニュー・エイジの在り方は、
自分で親を選んでいるが前提になっています。
つまり、至らないところがある親を選んだ自分の責任でもあるのです。
完璧な親なんてこの世にはいません。
私達は三次元に属する存在でマスターではないのですから。
けれど、あなたが選んで生まれてきたその親は、
あなたが学ぶのに最高の教師の1人なのです。
この法則が理解できると、至らないところが沢山ある父が、
私にとって多くの教えをもたらすかけがえのない存在になりました。
神の愛という視点を知れば、
どんなに嫌な奴でも愛されている、愛すべき対象であることが、理解されます。
同じ親に知らしめるなら、自分が親の影響から抜け出して、
幸せに成功して、
「ざまあみろ!」と、
言っちゃうくらいのが建設的だと私は思っています。
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大人になって何思う・・・ [インナーチャイルド]
月曜日、姉の家は朝から大忙しでした。
前記事にあるようにお祝いが3つ重なっていたからです。
姪が着ているこの振り袖はあの子がアンケートに答え、当てたものです。
うちの家系はくじ運が強いです。
当てたと言っても、30着くらいある中から自由に選ばせてもらえました。
そのなかから、あまり見ない、けれども古典柄のこれを本人が選びました。
京友禅です。
記念の写真撮影には、幼なじみの家族と一緒にスタジオ予約で、
家族写真には私も入っての撮影です。
姪の認識では私のことも将来介護する相手のひとりとなっているそうです。
その気持ちはありがたいです。
私の成人式はちょうど30年前のことですが、
奇しくも私もロイヤルブルーの地色のを着ました。
ただ、チャイナドレスです。
地元で最も仲の良かった友人は黒のタキシードで出席し、
2人で目立ちまくっていたのを思い出します。
私も姉もそれぞれに振り袖を持っていますが、
私のは姪は絶対に似合わない色なので、
次に誰が袖を通すことになるのか、わかりません。
私がもう一度袖を通すのは、ありか、なしか。
一応未だ独身の私なら着てもいいのかと、
姉と私のあいだでは首を傾げています。
大人になってみてもわからないことというのはいっぱいあるものですね。
ましてや他者の心の中のことなんてわからないことだらけです。
なのに、家族だからとわかっているつもりの言動や行動が、
知らず相手を傷つけていることも多いのです。
そうした傷ついた体験について、ヒーリングを受けて、体験の裏にあった真相を知るだけでも、
マインドは癒されます。
ですから、大人になるだけで、インナーチャイルドの一部は、
自然に癒されることもあるのです。
けれど、それはただ納得できるというものであり、
本当の癒しはそのことに関わる感情が手放せたら・・・です。
ネガティブな感情を手放し、ポジティブな感情でそのことを満たせた時、
真実の解放とも言うべき状態に移行できます。
子供の自分を愛することが、愛される自分を手に入れる
最も単純で強力な方法なのです。
泣いていたのは・・・ [インナーチャイルド]
サイキックリーディングに最初に書かれていたのは、
私が集団によって虐められたことがあるというもの。
これを読んだ時に、途端に涙が溢れてきました。
私という人間は残念ながらとても記憶力はいいので、
数々の虐めやつるし上げられたことを忘れてしまったりはしていません。
ですので、憶えている限りのことには、ショックを癒すことを試みています。
けれど、クリスのこのリーディングを読んだ途端に涙が流れるというのは、
実は悲しみは癒されていなかったことに気づかされたのです。
それで、この数日は過去における悲しみと、怒り、憎しみ、妬みなどを、
改めてクリーニングし続ける毎日になりました。
ホント、自分でもうんざりするほど、この手の体験があるのです。
自分がプロなので、他者に依頼しなくても済むことが、有り難く思えるほど。
いちいち全部を誰かに依頼していたら、生活するお金もなくなると思えます。
そうして改めて、何があったかを正しく把握することで、
マインドは癒されるけれど、
感情は別物なので、これはこれとして癒すことが必要なのですね。
そういうことを体感させられました。
理論ではわかっていても、自分のことになると見落としがちになってしまいますね。
こういう気付きのチャンスになったことを有り難く喜んでいます。
そして、このところの経済的困窮の原因も理解しました。
土星が第2ハウスにいるからですね。
太陽系の主要な星のなかでは、地球から遠くに位置する土星の動きは、
月のような速いサイクルでは動きません。
その動きは遠ければ遠いほどゆっくりとしたものになり、
惑星によっては数年の単位で移動するものもあります。
土星がいつからここにいていつまでここにいるのか、
自分のホロスコープを出さないと調べられないのですが、
現在のパソコンには占星術のソフトを入れていません。
でも、経済的困窮と言っても生活は無事出来ているし、
お年玉もお祝いも出せる程度のゆとりはあったので、
昔の食べる物買うお金もなかった父と暮らしていた時代よりは、はるかに豊かな日々だと、
思います。
その父もよい会社に巡り会えたおかげで、
最近は大分羽振りがよいようです。
といっても庶民のレベルを超えることはないでしょうけれど。
とにかく、一生インナー・チャイルドの癒しは必要を改めて実感いたしました。
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逆転モデル [インナーチャイルド]
片親が不在の家で育ったり、何らかの機能不全のある家庭で育つと、
こどもは規範とするべき親モデルを完成させることが出来ないことがあります。
例えば、私の生家の場合、
母の稼ぎが転職を繰り返す父の倍というのを私は知っていました。
母は家庭的な人でしたので、小さい頃の姉と私の服は大抵母の手作りです。
家事もこなす人でしたが、
私の潜在意識においては、どうやら母が父親役も兼ねてしまっていたようです。
つまり、私は規範とするべき父親モデル(男性性)を完成させることが出来ていなかったのです。
これを私に気づかせてくれたのが、オーラソーマのボトルでした。
オーラソーマのボトルには、インナー・チャイルドを癒す効果のあるものが数本
存在していますが、
それらを使っても明らかにインナー・チャイルドに問題のあるはずの私に
あまり効果が現れませんでした。
何故なのかと思っていたら、57番を使うことで理解が得られました。
57番は、写真の58番の上下逆パターン、
私のように母が父親の役割を兼ねてしまったような、
より複雑なエネルギーパターンの
家庭で育った子供を癒すインナー・チャイルドボトルなのです。
心理的な影響として、両親との関係性が全ての人間関係の基礎になります。
これにより、女性がより良い男性との関係性を持ちたいなら、
父親とのことを癒すとよくなるのですが、
私のような場合は、父親とのことだけを癒しても父が父親モデルになっていないので、
自己のなかでの男性性を完成することにはならないのです。
私のなかの男性性を完成させるためには、
母とのことをも癒さねばならないのです。
そして、もちろん女性性の完成のためにも母とのことを癒さねばなりません。
私は19の春に母を亡くしたので、すでに直接関わることがないため、
インナー・チャイルドの癒やしポイントとして
母を意識するのがおざなりになりがちでしたが、
自己の父親モデルを癒し、男性性を完成させて、
女性性と男性性のバランスの取れた人間を目指すためには、
母とのことをこそ癒す必要があったのです。
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オールドソウル [インナーチャイルド]
少し前に紹介したインディゴチルドレンの本が読みにくくてなかなか進まない私です。
この数日にもほかの本は何冊も読み終わっているのに、です。
その理由に先程気がつきました。
あの本に書かれていることは、私のインナーチャイルドを刺激するのです。
私は、1964年生まれですので、
1980年頃から生まれたインディゴチルドレンではないはずですが、
インディゴの初期タイプ、ヴァイオレットチルドレンと似ています。
インディゴチルドレンというのは、オーラの色から名付けられた名前で、
インディゴブルー(藍色)のオーラの持ち主と、いわれます。
オーラの色というのは見る人によって見え方もそうとう違うのですが、
多分ここで言われるオーラの色は、
オーラソーマにおけるソウルカラーを指しているのではないかと思われます。
私は名前から割り出すソウルカラーの1色がロイヤルブルーになる人ですが、
多くの人からオーラが「鮮やかなヴァイオレット」の人と、言われます。
知り合いではたった1人だけが私を「ピンク」と、読みました。
オーラの色も実はボトルと同じで基本2色カラーになっていると言われます。
ビンクが上層に載ったロイヤルブルーは、混ざって見えれば
「ヴァイオレット」になるでしょう。
オーラ視の出来る人の書いた本にあった問診では、
私は「ヴァイオレット」カラーの人になりました。
オーラカラーが基本1色と言われるインディゴ達とは、
明らかにタイプは違いますが、オーラにインディゴカラー(藍色)を持って生まれているのも、
確かなようです。
そんな私のインナーチャイルドは、インディゴチルドレンには尊厳を守るように、
子供だからと接するのではなく一人前として接するように、
彼等は「古い魂(オールドソウル)」の持ち主だからと、
繰り返し出てくることにもやもやしていたのでした。
はい、私も「古い魂」の持ち主です。
でも、周りにインディゴなんて1人もいない時代に生まれてますから、
残念ながらインディゴチルドレンのように、
尊重されるという経験なく育ちました。
ですから、その資質を歪めることないよう配慮されるほかの子供達への
思いやり溢れる大人達の思いに触れることで、
そうしてもらえなかった私のチャイルドがもやもやするわけです。
この頃の私はこのように、
まだ癒されていない部分があぶり出されてはそこを癒す日々なのです。
インナーチャイルドだった! [インナーチャイルド]
今週は、ヒーリング瞑想から覚めると左足がおかしくなっていました。
始めのうちは、筋肉が突っ張る感があるだけだったのですが、
2日間これが続くので、半身浴をして筋肉のこわばりを解きました。
これでよくなるかと思いきや、翌朝眠りから目覚めてみると、
左足が上手く立ちません。
翌日には、痛みも伴うようになっていますが、
肉体を損傷したわけではないので、腫れとかは一切出ませんでした。
なのに数日完全に左足は捻挫のような状態になりました。
家の中でトイレに行くのにも痛みます。
そして、同時に再びハートの激痛にも襲われ、
思考力も麻痺していました。
ハートの痛みが大分和らぎ、各チャクラのヒーリングが済むと、
やっとまともに頭が働き出しました。
「この左足の痛みは、何時が原因のものかしら?」
そうです、私の左足は幾度かくじいているのです。
一つ前の前世の死に際については、もう癒されたと出てきます。
どうやら、今生の子供の頃の捻挫が原因となっての症状のようです。
一体、今更まだ何が残っているのかと思うのですが、
ショックは癒した覚えがありますが、インナーチャイルドが残っていたようです。
嬉しさのあまりはしゃいで飛び跳ねていて、空の水槽ごとひっくり返った子供の私。
おかげで、家族旅行に行けなくなってしまった。
小さすぎて、何を考え思い込んでしまったのかも思い出せないのですが、
何か「喜び」に関することだというのは感触だけあります。
家族旅行に行けなくなったので、
姉や母からの小言にも晒されていたのだけは辛うじて思い出せます。
感情的にも傷ついていたけれど、思い出せなくてもインナーチャイルドと、
確信できたのは、この数日のハートのヒーリングには精神体ボディのレベルの
癒しが必要だったからです。
インナーチャイルドは、傷ついた体験から何事かを思い込むので、
潜在意識つまりは精神体ボディのレベルのヒーリングが必要なのです。
私の左足の捻挫に関しては、肉体レベル、感情レベル、精神レベルに加えて、
そうとう深く傷ついていたらしく、魂レベルのヒーリングも必要だったのです。
大人になった今では、足の捻挫ごときでそこまで傷つくなんてと、
自分自身でも驚くほどですが、
そこはまだ未就学児ですので、世界がとても狭かったとしか言い様もなく、
繊細な子供だったと受け入れるだけです。
この件を特定して天使にヒーリングをお願いしながらクリスタルを使ったら、
立ち歩くのにも難儀していた痛みは一瞬で消えました。
本当に原因を特定できた時のヒーリングは、速いです。
しみじみ、インナーチャイルドの癒しは深いものだと感じます。
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みそっかす [インナーチャイルド]
今回、突然母その2が、予定を変更したので、
私達は母その2の手料理で、別荘滞在中食事をいただけることになりました。
はっきりいって母その2の料理は美味しいです。
この人は、懐石もコースで出せる腕前を持っています。
何故、予定変更したかというと、
「草木染め」の下絵作業が予定より進まなかったせいのよう・・・。
日に3度ちゃんちゃんと出てくる料理に感謝して過ごしておりましたが、
気づくと、今回やたら私に手伝いを頼みます。
ほかのメンバーがいない時は、理解できますが、
全員揃っている時でも、私に頼むのでいぶかしくなり、思わず、
「なんで私に言ってるの?私は小間使いじゃないのだけれど?」と、
つい、本音が・・・。
すると、
「違うわよ。私がものを頼むのって凄いことなのよ。」と、返されました。
これを聞いて納得した私は、下ごしらえは終わっているその日の食事作りを、
代わって黙々とすることにしました。
料理の上手な人が、他の人につくるのを譲る時って、
どのような時でしょう!?
任せて大丈夫という信頼が持てない限りは、台所を預けられないでしょう。
私は2家族の子供達のなかでは一番年下なので、
母その2には、ながくみそっかす扱いなのでした。
けれども、初孫も成人する頃の現在、
みそっかすとして使いものにならないという私への思い込みを手放し、
眺めてみれば、実の娘の次には使える人間だったと、気づいたらしい。
(今回別荘に集まったメンバーにおいての話です。)
一方私は、基本この人には、使いものにならない扱いされてきた時間がながいゆえに、
自己評価が低く設定されているから、
用事を頼まれることを、
パシリのように扱われている気分になっていたのでした。
実は、昔ヒプノのセッションを受けている時にもこの「みそっかす」発言は浮上し、
「これは根が深いから、今回は掘り下げるの止めましょう。」と、
ファシリテーターに止められたほど、私の深層心理に食い込んでしまっていたものでした。
ずっと続けていた自分を愛する、自分が愛されていることを受け入れるワーク。
これにより、1つのインナー・チャイルドを覆す時を、迎えたことを知る、
今夏のヴァカンスでした。