人間は母親から生まれるので、普通のままでは、
母親という存在が与える影響は切っても切れるものではありません。

母親の教え、生き方に染まるのもあるでしょうし、
反発して真逆の生き方を選ぶこともあるでしょう。
どちらにしても、これは影響下の在り方です。
この母親の在り方が幸せなものであるならば、
子供は幸せをつかみやすくなります。

至ってシンプルな話なのです。

ただ、母親当人は「人生こんなもの」というような、
真実実感した幸せを伴って生きていない場合、子供には葛藤が生じるのです。
表に表現しているものと感じているもののギャップがあるからです。


ユングは、男性にとっての異性の原型の発達の第一段階を母親としていました。
(近所のお姉さんなどもこの段階になります)
つまりは、異性モデルの発達が未熟だと母親に近い人に惹かれるというのです。
成長することで、人間は母親を超えていくことが可能になります。
この男の子が母親を超越する過程を物語として上手く描いていたのが、
「ピクマリオ」(原作 和田慎二)でした。
生みの母親という光の側面と、宿敵である女性は母の闇の側面を現します。
これをどのように倒すのかがこの物語の醍醐味です。


さて、現実の私達は母親を倒してしまうわけにはいきません。
犯罪行為になってしまうからです。
実際の所、成長過程の精神的な「親殺し」が上手くできずに、
行動でこれをしてしまう哀しい事件が世の中増えたとは感じています。
親側が子供に否定されることは、成長の在り方として自然であるという受け入れが
できないのが原因なのではと私は推測しています。


どのような関係性がそこにあったとしても、
エネルギーパターンのリリース(手放し)がなされれば、
これまでの関係性を繰り返す必要はなくなります。
これこそが真実、人生の癒やしになるのです。