世の中にすぐれた想像の世界である、作品は多くあります。
例えば、私がこのブログで紹介している癒されたマンガというのもそうしたもののひとつですが、
反対に優れているのですが読んでトラウマとして残る作品も沢山あります。
私の場合は、「はだしのゲン」がトラウマで、
劇画っぽい作風の人を好まないのには、
絶対影響しているとわかっています。

それでも「はだしのゲン」は、リアルなだけで毒があるという作品ではないと思うのです。

良薬口に苦しではないけれども、
多少の毒が匙加減ひとつでその作品を優れたものにしているのも良くあることで、
故手塚治虫先生の作品は、その匙加減の巧さが、
数々の名作を残していると感じます。

けれど、最近のヒット作というのには、毒が良薬になっておらず、
毒のままであるものが目立つような気がします。
これは、ある意味で読み手の心が病んでいることを表してもいるのでしょう。

売り手が読者のニーズに応える構造により、
こうした現象を増やしているのでしょうが、
世界の在り方というものを理解していると、
とても危ういものとして目に映るのです。


幽霊がいると言われるのが、アストラル界です。
アストラル界というのは、感情の世界であり、想像の世界でもあります。
つまり、幽霊というのは、自分の感情がつくりだした想像の世界に囚われた姿なのです。
心がつくりだした檻に捕まっている世界とも言えます。
浄霊というのは、その相手の思い込みの世界を崩してあげることに他なりません。
想像の世界ですから、実は何でもありです。

3次元のリアルには存在しなかったものも、
ここの次元には存在可能です。
多くの人が共感したマンガのキャラクターでさえも、
感情のエネルギーの凝縮によっては存在するでしょう。

であるなら、病んだ存在に多くの人の感情エネルギーが注がれることの
危うさというのがご理解いただけるでしょうか。
世の中に完全無欠なヒーローなんて存在しないとしても、
他者を傷つけることを厭わない、他者が不幸であることを喜ぶ心根のキャラクターが、
まき散らす毒は、2次元の世界だけにとどまるものではないのです。


現象は鏡です。
私達が持っているものがこの世界をつくりだしてそれを映してみせるだけです。
これは、こちらが世界に善なるものを見ることを意図すれば、
それが映し出されるようになることも示しています。
反対にあなたが世の中は冷たいと思っていたら、
それを肯定する体験に溢れた日常になるでしょう。

退廃的な世界を描くことにエネルギーを注ぎ続けてしまったあるマンガ家は、
自分を廃人にする人生を創り出してしまいました。
これはいわば読者と作者がつくりだしたエネルギーの結果です。


私達はもっともっと感情というエネルギーの使い方に、
繊細になる必要があるのです。