昨日、約束の三回目の治療に朝から、茨城に出掛けていました。
久しぶりに地平線と、広い空を眺めることが出来ました。
先日書いたように今回の治療は、幼なじみからの前倒しの誕生日プレゼントです。
とはいえ、朝の八時に迎えに来てくれて車に乗り込み、
首都高の渋滞抜けたら時速100kmはつねに越えた状態で走っても、
鹿島に着くのはお昼近くです。
結婚後ながく、鹿島に住んでいた幼なじみのお友達と一緒にランチとお茶して、
生体受けて帰る頃には、日が傾いています。
本当に一日がかりの通院です。
でも、おかげさまで「あとは日常の動きと軽いストレッチで自然に治癒するでしょう」と
言われました。
やれやれです。

前回の帰りに、肩関節をはめ直してもらった私に幼なじみは、
「(治ったのなら)働かなくっちゃ。」
というので、間髪入れずに私は、
「遊ばなくっちゃ。」と、返していました。
それに幼なじみは、二の句が継げないでいました。


私は、この数年具合が悪くても、入ってくる仕事は断ることなく、
自分の最善でもって向き合ってきました。
がむしゃらに身体を動かすような働き方はしませんが、
仕事にはいつも真剣に向き合っています。
音大卒なのに根性が体育会系の幼なじみとは、
働くということに対する定義が違うだけなのです。
彼女にとっては身を粉にして働くことは当たり前なことなのです。
でも、私は自分の身体の弱さを知っているからそんなことを良しとはしていません。
彼女の考えるような働き方をしたら、すぐに動けなくなって、
それこそ再び寝たきりになって何も出来なくなるでしょう。
他者の手を患わせる事態を招かぬように、
自己管理を続け、自分を守りながら働くことを選んだ
私の生き方が、現在の生活なのです。

それに、この数年の私の具合の悪さは、半馬無くて、
自分の楽しみのために出掛ける余裕はなかったので、
心が渇いてしまいそうになっています。
こんな状態で仕事に突っ走りだしたら、
私の仕事では、すぐに使いものにならなくなってしまいます。
余裕のない心で他者の心と向き合うなんて、危ういことです。
具合が悪くても、私が仕事を続けられたのは、ローペースだったからこそ。
通常モードにギアチェンジするには、今少しハートにエネルギー・チャージが必要と
感じている私なのでした。



ところで、この夕日に写り込んだ赤い玉は、何なのでしょう。
5分間に撮った写真カメラの角度や位置を変えても全部に写り込んでいました。