ハローワークが主催の障害者就職面接会の資料を貰ったので、
見てみると一流企業の名前が並んでいました。
参加企業数300を超えるその募集内容を見てみると、
仕事の内容で興味が持てるのが一社、場所的に勤務が可能かもと思えるのが一社という現状でした。
法的措置の問題で、働ける障害者を欲しがっている企業は多いのですが、
その内実を見ると首を捻りたくなります。
企業は本気で障害者を採用する気があるのかということに疑問を感じてしまうのです。

障害者といっても障害の内容は様々です。
ですから何ができて何が出来ないかは人それぞれ違うのでしょうが、
健常者と違って肉体的なハンデの有る人も多いと思います。
そのような人達に、朝のラッシュの電車に乗って
千代田区、中央区へ通勤させようということに疑問を持たないことが、
本気ですか?」と、思ってしまう要因です。
勤務時間と場所を考えると通うだけで身体の状態が悪化すること必死の企業ばかりです。
私は都内に住んでいるから通勤時間は大抵の場合は、短くてすむでしょう。
だからこそ座れる確率は低いともいえます。
健康に通い続けることを考えるなら場所の問題は大きいのです。


世の中には好きなことを仕事にすることは贅沢であるという考えの人がいます。
興味のもてないことを仕事にしていたら苦痛で仕方がないと思うのですが、
そのようなストレスには耐えるべきなのでしょうか
例え好きなことでも長時間従事していたら、
作業意欲は低下してくると思うのですが、どうでしょうか。
現代の私達は企業の利益のために働かされすぎていませんか。

今日はスタディグループでテロスの子供達のことについて学んだので、
考えさせられることがいっぱいありました。
労働時間のあり方、仕事の選択の仕方、学校での学びの形態色々なことがありますが、
私達は何と自分達に無理している事を当然と捉えているのだろうと気づくことができます。

そうした社会的なことへの気づきの他に、私自身の仕事についての気づきもありました。
私は「癒し」という仕事を社会は求めていないと考えていました。
これでは自分の仕事を必要とする現実を自分に引き寄せることは、できるはずもありません。
私は自分が選び学んできたこの仕事にもっと誇りを持つことが必要なのです。

障害者なんだから仕事を選ぶことが贅沢とは思いません。
ハンデがあるからこそ出来ること出来ないことをきちんと見極めて選ぶ必要性が高いと思います。


そして、私は心を扱うエキスパートなのだから、
自分がやりたいと思った仕事をより大切に扱っていく必要性を誰よりも知っているはずなのです。

マインドとハートの差を埋める気づきを得た一日でもありました。