実は私は容姿コンプレックスの強い人間でした。
私の外見を知っている方々にはこの話は異常に思われるかもしれませんね。
そうです、私は二十歳の頃にはミスコンに推薦の話も出るような外見の持ち主です。
でも、病弱を理由に断り続けました。
私は外見からは解からなくても障害のことがあるから目立ちたくなかったのです。
私には四つ違いの姉がいますが、身長の違いを除けば子供の頃は顔も体形もよく似ていて、
それぞれがお互いの級友とかに間違われるほどでした。
父などはアルバムに貼ってある写真を見てもどちらの写真なのか区別がつかないほどです。
子供は、よく両親が本当の親に思えなくなることがあったりしますが、
こんなによく似た姉が側にいたので、自分だけが他所の子という考えだけは浮かびませんでした。
やがて、姉が国際線のフライトアテンダントになった時に、私の苦痛は頂点に達しました。
姉が当時の女性としてはエリート職についたことと、私と姉があまりに外見的に似ているために
周りの人が口々に私の将来も姉と同じ職と決め付けた話をするようになっていったからでした。
私には自分という個性がまるでそこにないような扱いに思えたのです。
職を探す時にも、意外にもこの外見がハンデになりました。
人事から見た場合、人から覚えられやすい、他者から好感を持たれる容姿の持ち主というのは、
「接客」「営業」向きの人材なのです。
しかし、昔の私は人間嫌いでした。
現在はもうそんなことはないのですが、改めて職探しというと、
このキャリアがネックになる面がやはりあります。
長時間の立ち仕事にならない「接客」の仕事って日本ではなにがあるでしょうか。
どうも「接客」=「販売」=「立ち仕事」の図式が出来上がっている気がします。
治療を受けるということにおいても容姿が原因で断られたことがあります。
27歳の時に腰痛で倒れ寝たきりになった折に、大学病院では初め手術する方向で話が進んでいました。
しかし、数少ないその手術を経験したことのある教授は私を前にこう言いました。
「どのようなリスクが出るか解からない手術の上に、かなり大きな傷跡だけは残るのは確実です。
そんな手術をあなたのように若くてきれいな女性に私はしたくありません。」
これを聞いた私は、そこを何とかと言う気力もありませんでした。
一般に容姿コンプレックスというと他者と比較して自己を低く評価しているケースが多いかと思います。
この意味では、私のは少し違うケースに見えるかもしれません。
でも、自己の容姿が受け入れられないという本質ではまったく同じものです。
では、どうやってここを脱け出して行ったかといえば、
自分で自分が好きになれるよう努力していっただけです。
外見という外側が好きになれないなら
せめて人間性という中身は好きになろうと思ったのです。
この世界で生きるうえで自分だけは自分の味方でいよう。
外側で評価されることのむなしさがそういう発想に結びついていったのかもしれません。
外見的なことにとらわれず、自分の好きなところを1つずつみつけて
自分の嫌だと思う性質は変えるようにしていきました。
オーラソーマとの出会いは自己を受け入れて生きることの大きなサポートともなりました。
自分という人間が好きになれてきた時に、私は自分の顔が変わったと感じました。
造形的に見れば姉と私は現在も双子のように言われるほど似ています。
でも、二十歳の頃と違い現在の顔にはそれぞれの生き方が表れていると思うのです。
私は自己の年月を重ねてきた現在の顔が好きです。
私の外見を知っている方々にはこの話は異常に思われるかもしれませんね。
そうです、私は二十歳の頃にはミスコンに推薦の話も出るような外見の持ち主です。
でも、病弱を理由に断り続けました。
私は外見からは解からなくても障害のことがあるから目立ちたくなかったのです。
私には四つ違いの姉がいますが、身長の違いを除けば子供の頃は顔も体形もよく似ていて、
それぞれがお互いの級友とかに間違われるほどでした。
父などはアルバムに貼ってある写真を見てもどちらの写真なのか区別がつかないほどです。
子供は、よく両親が本当の親に思えなくなることがあったりしますが、
こんなによく似た姉が側にいたので、自分だけが他所の子という考えだけは浮かびませんでした。
やがて、姉が国際線のフライトアテンダントになった時に、私の苦痛は頂点に達しました。
姉が当時の女性としてはエリート職についたことと、私と姉があまりに外見的に似ているために
周りの人が口々に私の将来も姉と同じ職と決め付けた話をするようになっていったからでした。
私には自分という個性がまるでそこにないような扱いに思えたのです。
職を探す時にも、意外にもこの外見がハンデになりました。
人事から見た場合、人から覚えられやすい、他者から好感を持たれる容姿の持ち主というのは、
「接客」「営業」向きの人材なのです。
しかし、昔の私は人間嫌いでした。
現在はもうそんなことはないのですが、改めて職探しというと、
このキャリアがネックになる面がやはりあります。
長時間の立ち仕事にならない「接客」の仕事って日本ではなにがあるでしょうか。
どうも「接客」=「販売」=「立ち仕事」の図式が出来上がっている気がします。
治療を受けるということにおいても容姿が原因で断られたことがあります。
27歳の時に腰痛で倒れ寝たきりになった折に、大学病院では初め手術する方向で話が進んでいました。
しかし、数少ないその手術を経験したことのある教授は私を前にこう言いました。
「どのようなリスクが出るか解からない手術の上に、かなり大きな傷跡だけは残るのは確実です。
そんな手術をあなたのように若くてきれいな女性に私はしたくありません。」
これを聞いた私は、そこを何とかと言う気力もありませんでした。
一般に容姿コンプレックスというと他者と比較して自己を低く評価しているケースが多いかと思います。
この意味では、私のは少し違うケースに見えるかもしれません。
でも、自己の容姿が受け入れられないという本質ではまったく同じものです。
では、どうやってここを脱け出して行ったかといえば、
自分で自分が好きになれるよう努力していっただけです。
外見という外側が好きになれないなら
せめて人間性という中身は好きになろうと思ったのです。
この世界で生きるうえで自分だけは自分の味方でいよう。
外側で評価されることのむなしさがそういう発想に結びついていったのかもしれません。
外見的なことにとらわれず、自分の好きなところを1つずつみつけて
自分の嫌だと思う性質は変えるようにしていきました。
オーラソーマとの出会いは自己を受け入れて生きることの大きなサポートともなりました。
自分という人間が好きになれてきた時に、私は自分の顔が変わったと感じました。
造形的に見れば姉と私は現在も双子のように言われるほど似ています。
でも、二十歳の頃と違い現在の顔にはそれぞれの生き方が表れていると思うのです。
私は自己の年月を重ねてきた現在の顔が好きです。