どちらかというと理系な人間だった私は、漱石や子規の作品さえもうろ覚えなのですが、
子規のペンネームは初めて知った時から頭に残っていました。
今回訪れた資料館にて、彼は結構ペンネームを気分で変えていたらしいが、
自分が突然喀血し、自己の死を具体的にリミットとして捉えるようになってから、
死期を子規という字に当てて使うようになったらしいことを知りました。

そして、いよいよもって死が近づいても彼の創作への意欲は続き、
その作品から感じられるのは死を平然と見つめているということで世間に評価されたらしいが、
本人は死を楽に受け止めることは悟りでも何でもないことで、
生きることこそを楽に受け止めることが悟りだと言っていたとのことでした。

このあたりは、確かにこの人天才なのだと思うものがあります。


悟りとは、生きることを楽に受け止めること、
世の中の人のどれだけがこのことに気づいているのでしょう。

これは楽して生きるというのとは、意味が違います。
生きることは山あり谷ありと表現されるように、
生きていれば日々いろいろなことがあります。
けれども、自分に起きる様々なことに心が振り回されたり、
ブレたりしなければ、状況に巻き込まれない心境で過ごすことができます。
日々起こる出来事に自己が意味づけをしなければ、
悲しみも怒りも手におえないほどの事はなくなるのです。


生きることを辛くしたり難しくしたりしているのは、
いつだって自分自身なのです。