心理学として人格形成を学ぶと、親が子供に与えるものの大きさに驚かされます。
インナーチャイルドも親とのことがポイントになっている人は多いことでしょう。

けれども、時に親以外の祖父母や教師、兄弟姉妹が影響を与えることもあります。
または、母親と父親の役割モデルが逆転していたり、
両親揃っていてもどちらかのモデルが欠けている環境も考えられるでしょう。
私の育った家は、母親が父親よりも稼ぐ人だったので、
母親も父親モデルになっていて母親モデル不在の家だったことに、
先日の花カードで気づかされました。
通りで女性性のことでの解消ポイントを母親に見つけようとしても難しかったはずです。
「今までの努力は・・・。」と、ちょっとがっかりな自分でした。

ヒーリングの現場でも、
「こういう風に育てられたんです。」などと、
現在の自分の状況を親のせいにする人が沢山います。

しかし、もともとヒーリングというのは心理学的な三次元的手法ではなく、
精神世界と言われる世界に属した行為です。
精神世界では、その両親の元に生まれるのも、その後の人生も、
すべて自分の責任が大前提です。

例え、両親が赤ん坊である子供を虐待死させたとしても、
その経験を学ぶためにその両親の元に生まれたと考えるのです。
中絶した命さえも、そのことから学んでいるということになります。
実際の所、一度中絶されて別の親を選び直して生まれてきたという記憶のある子供が
知り合いにはおります。
ですから、私は自分の責任であるということがしっくりくるのです。

別の理由の一つに、
少女時代の愛読漫画が「スケバン刑事」だったのも影響しているかもしれません。

主人公 麻宮サキは、母親の虐待を受けながら育ちます。
母親の愛情は妹にのみ注がれ自分には向けられません。
唯一、ヨーヨーを操ることを母親が教えるときだけが愛情の交流と言ってもいい状態でした。
娘の幸せのために母親は溺愛していた次女を養女に出すのですが、
その養子縁組み先に飲んだくれの父親がお金の無心に行ったことを知った時、
サキが父の膝の上に乗っているその状態で後から母親は父親の首を切り落とすのです。
サキは成長して後、母親の延命のためにスケバン刑事になることを承諾します。
ひどい目にしかあわされていない、悪態しかつかない母親からの愛を求めて、
自分はひたすら与えていくのが、麻宮サキという人物像なのです。


与えられるからこちらも与える
愛とはそんな狭量な行為ではないと教えてくれた作品です。


和田 慎二先生のご冥福を心よりお祈りいたしております。