昨晩は失礼いたしました。
私のドジで人様に見せる必要もないものを晒してしまったようです。
それにnice!をくださいましたお二方はお茶目ですね。

何があったかと言いますと、「下書き」として、ファイルに写真のみアップロードしたものを
下書きではなく、公開に保存してしまったのでした。
私は現在二台のパソコンを作業別に使い分けていまして、
昨日は年賀状の準備のために、撮った写真を使えるようにするパソを立ち上げていたので、
そこからブログ用の写真もファイルにアップロードしておこうと、
文章最低限しか入力せずに下書きに保存するつもりが・・・、天性のドジでこざいます。

外見に反してドジな私は過去も様々なドジをやらかしてきていますが、
思い出して恥ずかしくなるというのは最近無くなってきました。
ひとつには「恥」という感覚を手放しつつあること、
もうひとつには瞬間、瞬間の完全性を理解できるようになったからです。

恥を手放すのは、アセンションに向かうために意識的に行っていることです。
この作業にはありのままの自分の受け入れがついてきます。
そして、ありのままを受け入れるというのは、
過不足のない完全性を受け入れることにも繋がっています。
ジャッジの感覚が入ると、これは成立しません。
ですから、「ジャッジしない」というもうひとつのアセンションのために必要な態度にも
通じていくのです。


昨晩のことは確かに失敗なのですが、
この「失敗」に私はネガティブな感情や感覚を持ってはいません。
反対に、今日このブログを書くきっかけになったと捉えています。

起きていることに、自分がどのように反応するかが、
そのことのボジティブとネガティブを分けているのです。