写真は私が好きな作家、小野不由美さんの近著「奇談百景」です。
読者から、彼女の元に寄せられた怪談を小野さんが文章化しているという本です。

この中に修学旅行の時に体験したという怪談がいくつかあり、
そのひとつに現実主義のクラスメイトとのやりとりが含まれるお話がある。
語っているMさんは異様な気配や音などを体験しているが幽霊の姿は見ていない。
異様な体験の中、頼りにしていた隣で寝ている友人Yさんは、現実主義の性格だという。
それで、怖がるMさんの心中も知らずに、
「電気が着いているから眠れないんだよ。」と消灯されてしまう。
翌朝、Yさんとの話で、Yさんが実は幽霊の姿を見ていたことにMさんが気づくというもの。


前回の話、現実主義の私が何故、現在のようになれたのか、
疑問に思う人もいたのではないでしょうか。
その鍵は、私がユング心理学で言うところの感覚タイプの人であるからなのです。

最初に上げた例でもわかるように、現実主義であるYさんが幽霊を見ているというように、
本人の主義主張と関係なく、こういう体験はおきる。
ただ、現実主義の人は、不思議な体験をしたで終わり、
その体験を追及とかはしないだけなのです。

私が一旦は現実主義のなかで育ちながらも、霊を受け入れられるようになったのは、
自分の五感を通じて体験してきたからなのです。
二十代の頃、新選組研究をするなかで、私は前世の関係者数人と出逢った。
その1人、前世では私の義妹になる人は、自動書記まででき、
常に側に数人の幽霊が侍っている人でした。
その人からこのような状態についての告白を受けた時、
話だけだったら私も疑ったかもしれない。
しかし、彼女は私に触るように言ってきたのです。
彼女が言う幽霊がいる位置、
目に見る限りは何もないはずのその空間に手を伸ばした時、
私の手はゼリーの中に入ったような感触を受けた。
その場所から手を引き戻せば、手には何も感触は残らない。
当然濡れてもいないのです。

そこから、様々な体験が始まったのです。

アセンションというものについても、似たようなものでした。
友人がアセンションを言い出した時、私は最初小馬鹿にしていたかもしれない。
けれど、勉強会等にに参加してみるうちに、
そこに確かに高いエネルギー存在が来ていることが体験を通じて理解できた。

このように五感を通した体験が感覚タイプの人を大きく動かすのです。


私は現在も現実主義ではあるので、
現実の中で変化しないことはなかなか受け入れられない。
おかげで、財布に千円しか入っていないと、
自分がそれでも豊かなのだと実感するのは難しい。

けれども、幽霊や天使やマスター達とは、
沢山の体験を通して学んできたものがあるので、
その存在を受け入れられるのです。