昨日は姉と幼なじみの三人で大阪日帰り旅行をしてきました。
目的はお昼ご飯を食べること、
それも5大名飯の1つであるかやく飯を食べることなので、
創業明治35年という「大黒」さんを選んで行ってきました。



ごぼうもこんにゃくも小さく切ってあって、よく見ないとわからない位なのに、
味がふくよかで上品な味付けのおいしいご飯でした。

私が生まれる前からの付き合いになる私達三人は、
定期的に会うことを罰則付きで義務づけています。
つまりはそうしないと会わないくらい、現在は人間的なタイプが違う三人なのです。
でもだからこそこうして関わり続けることを三人で話し合って決めたのです。

さて、私は日常、自宅から出るときには、
神の第1光線にて自己のオーリックフィールドの外側を包み込み、
外から来るネガティブなエネルギーをカットしてもらうようにしています。
それでも、昨日は、千歳船橋へ戻ってきたときには溝落ちが痛くなっていました。
私にとっては人生初の大阪行きの旅の責任者が私だったからです。
勝手のわからない土地で迷いながらというのは、後々の笑い話ですが、
睡眠不足と、同行者への気配り疲れが主な原因でしょう。
夕飯を自宅で食べたら、爆睡していました。

そこで、今朝は目覚めて家族に対する思い込み、観念を、
人間関係における考え、観念を、
自分に対する評価をクリーニングして、癒し、変容させたら、
大量なエネルギーが動いていました。

これらは、これまでの人生で私が体験からつくりだしたものです。
いいものもあれば、悪いものもあるでしょう。

家族という遠慮のない関係における言葉は、捉えようによっては刃にもなります。
けれども、相手は他意無く言っているだけでこちらを攻撃しようと言っているとは限りません。
その言葉を自己へのダメージとして受け止めるか、
愛情の裏返しと受け止めるかは、
自分が決めているのです。

外からのダメージはカットしてもらっている状況ですので、
顕れるダメージは自分でつくりだしているものと、わかるわけです。
地図を手にしながら迷えば、「地図の見れない人だったんだね。」と言われます。
これをだめ出しされた、低い評価を出されたと私が受け取れば、
私がダメージをつくっているわけです。
結局、交番で訊いてそこの区分けが複雑になっているのも迷った理由の1つと判明しました。
情報は訂正されても自己につくったダメージはそれを消さないと消えていきませんから、
自己評価は低いままになりがちだったのです。

自己評価の低さについては、
先日のバーミストリーケアによる手相にも顕れていたことのひとつです。

こんな風に、ここを発達させないでいたのだと知ることの出来る一日でした。