本音と立て前の使い分けのない私は、
大人になるに連れてますます嘘がつけなくなりました。
これは嘘をついてもバレバレというのではなく、
嘘をいうこと事態が難しくなっていったのです。

子供の頃のほうが私は嘘つきだったなと、振り返ってしみじみしてしまうほど・・・。
小賢しい子供だったのです。
普通とは逆のパターンかもしれません。

これは、大人になるほどに自分自身に繊細になることを学んできた結果です。
自分に正直に、という場合はここで嘘がつきたい、誤魔化したいというのにも従う状態です。
繊細になるというのは、嘘をつきたい自分を観ながら、
何故ここで嘘をつきたいと思っているのかの理由を掘り下げてみていくから、
恥ずかしいとかいったほかの理由も気がついていって、
嘘をつきたい本当の理由も受け入れてしまうために、
嘘をつく必要がなくなってしまうのです。
これにはあるがままの自分を否定しないという態度が必要不可欠で、
人間は自分を否定しないでいられるなら、
ほかの何者をも否定する必要もなくなります。

他者を否定することで自分を保とうとする人には、難しいことかもしれません。


でも、こんな生き方をするようになって私は自分に感じるストレスはどんどん無くなっていきました。
ですから、余計な力の入らない現在のゆるゆるな自分は、楽です。

こんな風になれたのも自分に楽になることを許したから。
はじめの一歩はこれだったと思います。