昨日の「自分が不幸なままでいることが最大の復讐」は、
低自我のエゴだということに皆様は気がつきましたか?
これは、もっと愛されたい親から思うように愛が得られない子供の
「子の不幸を喜ぶ親はない」を逆手に取った心理です。

私達は時々、自己の中に「愛」というものの条件付けを持っています。
それは、こういうのが愛だと勝手に決め付けた精神のパターンです。

「私を愛しているならお誕生日を祝うのは当然よね。」
「愛し合っているのだから、クリスマスは一緒に過ごすのが当たり前でしょ。」
「私を愛しているならこのくらいの我侭許してくれるでしょ。」・・・・・・・・・等等。

これらは良くあるお話ですが、本当にそうでしょうか。
答えは「否」です。

こんなことで本当に相手が自分を愛しているかどうかは量れません。


以前、私がコンサルした方にこんな人がいました。
今日のお話によって離婚について決めたいと思ってます。」
私と会うなり開口一番にこのように仰るのです。
話を伺っていくと、夫に愛されていないように感じているというのです。
しかし、子供のことは大切にしてくれる夫だといいます。
でも、家族で一緒に遊ぶとか出かけるとかいった愛情の交流はない。
仕事以外は家にいっぱなしなので他所に女がいるわけもない。
それで悩んでいるというのです。

「私の話を聞いてどうするか決めるのはご自分ですよ。」と、話し始めたのですが、
意識のチャンネルを変えることというお話をさせていただきました。

家族ならこうするのが当然だという考えがあるために、
そういう考えのない夫は自分達を愛していないのではと疑っていたのです。

愛とは形がないものゆえに、そこにあることが時になかなか見えないもののようです。