時々、何故自分はセラピーの仕事をしているのだろうと思うことがあります。
そう、皆様がお気づきのように私は決して、
博愛主義的な母性あふれるような性格の持ち主ではないからです。

何のためにこれをするのか?

これについての答えは実はいまだにあまり明確ではないんです、
時々、患者(クライアント)さんに「よくなりましたありがとう」と、
いわれることに意義を持っている同業者をみかけます。
いわれるのは嬉しいけれど、私は別にこれが聞きたくて頑張っているわけじゃない。

だから、いつでも辞めるか続けるかのような判断の迷いはあります。
けれど、私は既に判断を手放す生き方の実践の日々なので、
現象が繋がっていくならそれに従うというようなスタンスです。
このため、昨日の記事にあるように、先にすすめないならそれでもよし、
そして無理せずに進めるならそれもよしという流れに任せた日々です。

こうした日々の中、クライアントさんに向き合う時の私の前提は、
「相手の学びの邪魔をしない。」だったのだと、気づかされました。
人間には病気になる権利も、病気のままでいる権利もあるのです。
これは例えるなら、苦しそうな荷物を抱えている人の荷物を変わりに抱えてあげることが、
ベストな対応とは私は考えていないということです。
依頼があれば、その荷物をどうすれば軽く出来るのだろうかと、
考えてアドバイスをするという感じかもしれません。

先日、出会ってお話をした人にされた質問に、
「ヒーリング(セラピー)をした後に、自分の状態が悪くなったりしないか?」というのがありまして、
思いもかけない質問だったので、少し考えましたけれど、私は「ありません。」
クライアントに霊とか、ついていた時は、こちらに来ている間だけにでる症状とかはありますが、
基本もとのところへお帰り願うのでやはりないといえるでしょう。


癒しを依頼されていても、相手の学びのチャンスを奪う権利は、ないと私は思うからです。