昨日は国立新美術館に知り合いの絵を観に行きました。
ついでにゴッホ展も観てきたのですが、
ゴッホの作品は彼の生存中は世に受け入れられることはなかったことを考えると、
ここには才能の承認というテーマがあるように思います。


才能という言葉に大方の日本人は、特別な観念がくっついています。
絵を描く才能なら、画家として世に認められるようなのが才能ある人という思い込みです。
でも、実際は絵なんて描けない人は全く描けないものなので、
人まねであろうが描ける人は充分才能を持っていると認めていいのです。
売れるとか、世の中に認められるとかは、才能のある無しではないと思います。
ただ、才能があるということとそれを使って自分に出来ることの限界を知ることは、別な話なのです。

私は今日の夕方いきなり脈絡もなく、
「私は普通の人生を生きられない人間だと知ってるから。」と、口走っていました。
人間は天命を受け入れるには、自分の才能の承認が必要なのです。
自分という存在の自己受容と自己承認ができれば、
自力で頑張らなくても道は自然に開いていくものです。

ここに必要なのは社会的価値や他者による承認では、決してないのです。

他者からの承認の必要性というものを抜きにした場合、
何の才能もない人など唯の一人もこの世には存在しないのです。
私には何の才能もないと思う人は、
自己が思う才能というものに条件がついていることに気づく必要があります。

自分の才能を認めることは、
無条件の愛からである必要を私達は理解しなければならないのです。