前回の欠けの話で、コメントより出てきました
「家を建てたら大事なものを失う」というお話、
これ、とてもキレイな言葉で表現されていますが、
最も多いのがその家の大黒柱、ご主人である人物が命を落とすケースが、
昔からよく知られています。

家を持つことと引き替えに人柱をたてることになるのです。

私がこういうことがおきるというケースを目の当たりにしたのは、20代のはじめでした。
母の従兄弟で母と兄妹のように育った人が、家を建てて半年後に倒れ、
一年もしないうちに亡くなったのです。
私の母がステージ3で癌がみつかって数年闘病したのと比べると、
早すぎる結末でした。

私にとっては疑問の多いケースでしたが、
親族の大人達の間では、はっきりとは口には出さないけれども「やはり・・・」という、
ムードが流れていたのが印象的でした。
決して家を建てるために無理をしたとかそういうことではなく、
病名は母と同じで癌だったのに、発見から死に至るまでが、
妙に短い時間で、母の後を追うように他界したのです。

本葬の時、残された家族が離席している時に誰かが、
「家なんて建てなければ、もっと長生きしたろうに。」と、
こぼしていたのが、私の耳に残りました。


このような現象の理屈は、正直現在も私にはわかりません。
けれども、人にはそれぞれその時の分というものがあって、
何故か個人が所有できるエネルギーの大きさには限界があるのです。
これを越えたものを求めてしまった時に、命をとられるのです。


今回、引越が実現するように私が心がけたことは、
「最善」がなされるようにと祈ることと、
現在住んでいるところとこの所有者である大家さんへ、
浄化のエネルギーを送りクリーニングし続けることでした。
そうして、やっと行政から引越の許可が得られたのです。
もともと、更新の時に引越をとは、行政からの要請だったのですから、
それが実現するまで6年もかかったのが、変な話なのです。
余程、ここで成すべき何かがあったと考えた方がしっくり来ます。

私が住むアパートは現在、入居者全員が生活保護受給者だと知ったのは、
つい先日のことです。
数年前には大家さんが新しい入居者が生活保護受給者であることに、
嫌悪の感情を見せていたのを知っています。
私もそうなっていることをこの時は、まだご存じなかったから、
隣人になる私にこぼしたのでしょう。
けれど、更新時に外勤が出来なくなって受給者になっていることを明かし、
細々の自営で暮らすこちらの様子を知り、
いつしか大家さんの考えも改まったようです。
そうでなければ、入居者が全員という事態にはなっていないでしょうから。

多分これで私がここで果たす役割は、終えたのです。
これは直接はしなくとも、大家さんへのヒーリングが行われたわけです。
その人の考えが変化することになったのですから。