地球がアセンションするにともない、
人類に等しくアセンションのチャンスが廻ってきている今、
私達には「すでにカルマというカルマはあらじ」と、言われています。

私はこのことはどういう状態を指しているのかと考えていました。
昨日亡骸を見送った友人は、私をアセンションの道に引きずり込んだ張本人です。
でもアセンションへの道は十人十色と言われるものなので、
同じ勉強会に参加していても学びの内容は、それぞれ違います。
彼女の最後が私にひとつの確信をもたらしてくれました。

カルマというカルマはあらじというのは、
持っているカルマが何もせずに消滅することではないのです。

偉大なるst.Germainのおかげで、人類は再び変容のヴァイオレット・フレームが、
使えるようになりました。
これにより、これまで変えられずに同じパターンの人生を繰り返していた場合にも、
違いをつくりだすことが可能になっています。
ゆえに、カルマに対しても積極的に向き合うことで消すことが可能になった、
といういうことを指している言葉であり、
時間という概念が速くなった、
飛行機という交通も発達して地球の上の何処に行くことも可能になった
そういうことを全て含んでの、言葉と私は思うのです。

好きなことを仕事にしていても、
仕事というものにはやりたくないものの側面もついてきます。
アクセサリー作りを生業にしても、その販売やお金管理と、
クリエイティブとはほど遠いことも同時にやっていかなければなりません。
そういう部分にこそ、学ばなければならないカルマ的要素があらわれるのです。
そして、そこからも逃げずに向き合ってこそ、
カルマの消滅というものは実際に起きることであろうと思うのです。

実際的な行動を伴った上で、
初めてアセンション・フレームの浄化も力を発揮するのです。
また、カルマに現れているものの性質によっては、
癒しのエメラルド・グリーン・フレームこそが必要なこともあります。

どのようなケースであれ、
そのことそのものに対して、
消えるのだから何もしなくてもいいというほど甘くはないと、
感じる私でした。