国内でショッキングな事件が起きました。
障害者介護施設で元職員が施設入所者を殺害したという殺人事件です。

自力では抵抗できない者を連続して殺すこと、
逮捕されて笑顔を見せている犯人の異常性などが目立っています。


私がこの事件にまつわるいろいろを眺めていて気づくのは、
命の現場で魂が置き去りにされ続けていることです。
実はこれは、介護の現場だけではなく、
医療の現場でも同じです。

確かに知的障害の重い相手とは、意思の疎通は難しいのが現実です。
私達は意思の疎通が取れない相手を自分と同等の存在とはなかなか思うことが出来ません。
しかし、これはマインドによるジャッジです。
これには相手の障害の有無は関係ないのです。
さらにマインドは理解できないものを恐れるように出来ています。
ゆえに、特に知的障害者を無意識で恐れる人々が多いのです。
恐れる者は、恐怖の対象を排除しようとします。
それが意識のレベルで行われる程度ならまだしも、
今回の事件のように行動を伴ってしまうと・・・。


私は、動物愛護推進員として「命の学び」のために、
これまで何度も小学校へ講師として出かけてきました。
この体験からいつも思うことは、
子供達は動物とのふれあい、命の交流に飢えているという感覚です。
命の学びとは、動物は生きている、生きているならされて嬉しいこと嫌なこともある。
それは自分と同じなのだということの学びです。

過去データとして連続殺人を犯した犯人は、
人間の殺害にいたる前に、動物虐待を繰り返していることが多く、
これが犯行の事前サインともなりうるとの見解もあります。
ですから幼少からの動物との命の交流がもたらす学びはとても大きな学びに繋がります。

今回の犯人においてはこうしたサインが出ていたかどうかは知りませんが、
介護の現場で働いていたのに命に対する学びが欠けていたのは事実でしょう。

かって世界的ベストセラーになった「死ぬ瞬間」の著者故エリザベス・キューブラ・ロスは、
死にむかう患者の心が医療現場で大切にされないことへ、
猛烈な怒りを抱いていました。
今日、アメリカではホスピスという形でこのことへのケアは実現されました。
しかし、その後のロス博士が提唱する魂の学びについては、
アメリカでも未だ形になっていないように思います。

命を救うことと日々向き合い続けている医師も、看護師も、
患者の肉体と感情のケアの必要性は理解していても、
そこに魂が宿っているという側面は、理解していないのです。


私はたまたま二分脊椎症であっても脳にはほとんど障害が出なかったタイプなので、
知的障害は伴ってはいません。
ネット診断を試せば、IQ125くらいが平均して出てきます。
こんな私ですが、子供の頃から霊感が強いので、
幽霊や龍や天使といった五感で知覚出来ない存在達と交流し続けています。
この霊達との交流が命と魂についての深い学びを私にもたらしてくれています。

知的障害が重く、周りと意思の疎通が取れない人であっても、
この世に生まれてきたということは、そこには魂が宿っていて、
魂自身は肉体の周りで起きていることを全て知覚し、そこから学び続けているのです。
彼等の命を絶つことは、その学びを中断させることに他なりません。

私が魂が置き去りにされているといっているのは、このことなのです。
命とは、肉体という物質だけで成り立っているものではありません。
感情は魂の働きの1つの側面ですが、
感情=魂ではないので、
情動的動きがみられないといっても、
これは魂の不在を現すわけではありません。

私達は全ての生き物が霊的存在であることを学ぶ必要があるのです。


今回の事件は忌まわしき出来事ではあるかもしれないけれど、
全ての人にこの大事な側面を考える大いなるチャンスともなり得る事件ではあるのです。

どのような出来事にも学びの側面があるのです。




関係する皆様の心が1日も早く鎮まることを願っております。





☆関連する過去記事☆ 
障害を持って生まれること   http://emerald-heart.blog.so-net.ne.jp/2008-03-29