魂は生まれ変わるということを私は知っています。
いくつもの前世を想い出し、
その総ての人生が現在の自己を形成しているもとになっていることを理解しています。

私にとって沢山ある前世の中でとりわけ意味深いのは、
一つ前の転生でした。

彼女は、幕末江戸に生まれ育ち、婚約者を追いかけて勝手に京都に行き、
鳥羽・伏見の戦いを経て初めて故郷会津に戻り、
戦い続けて蝦夷の地で自刃して果てた。
実は名前に「姫」をつけて呼ばれるほどには身分も高かったが、
私があきれるほどに感情豊かでストレートな生き方をした女性です。
この意味では現在の私とは対極の女性かもしれない。

私が今生においてもっとも影響を受け続けた存在である。
多分生まれてから先週彼女がついに成仏するまで・・・。

ひとによってはこれまでのような状態を「憑依されていた」という人もいるかもしれない。
しかし、別に人格が豹変したりしていたわけではありません。
先に書いたように私は分析的で感情豊かといわれるような性格ではないから。
でも、様々なことに彼女の存在が影響を与えていたことはよくわかります。
例えば・・・、
一月のブログで左足の痛みの話を書きましたが、あれは彼女の痛みだったのです。
そして、左の胸の辺りが触っても痛みを感じるのに病理的には何もなかった場所は、
彼女が自刃した時、大刀を突き刺した場所でした。
つまり、これらの肉体の不調は霊障だったのです。

これら痛みは彼女が成仏した瞬間私の身体からはがれるように抜けました。


成仏という現象をどのように捉えるのかという問題が出てきますが、
要するに彼女の霊的側面は死んでから現在まで霊界に一度も行ってなかったと、
考えるのがわかりやすいかもしれません。

しかし、一方で次のような疑問も生じることでしょう。
魂があの世に行ってなかったのに、生まれ変わることが何故出来るのか?とか、
前世の自分が自分に憑依するなんてことがあるの?等等。

魂が死んで生まれ変わるということを、
1つの次元だけで捉えているから生じる疑問です。

私達は確かに肉体は三次元のものであるけれど、
魂とか呼ばれる霊的側面はもっと多次元な存在なのです。
これを三次元で生きている私達が完全に理解するのはとても難しい話なのです。

また、前世の人格というのは潜在意識の一部であるとも捉えることが出来ます。
今回の出来事は、
彼女のパターンに縛られていた潜在意識が形を変えたことを意味します。


彼女がいなくなった人生がどのように変わりだすかは、まだ未知数です。