ハイアーセルフという言葉を最初に知ったのは、27歳のセミナー体験であったと思う。
そのセミナーのトレーナーが話している様子を映像で思い出すから。
「ハイアーセルフというのは神としての自分です。」

あの時から軽く十年以上の時間が流れている。
この時間の流れの中で人類は少しずつ霊的成長をすすめてきた。
おかげで、高次なる自分という側面がもっと詳しくわかってきました。

私達の霊的成長というのは、ハイアーセルフで終わりではなく、
その先にはアイ・アム・プレゼンスやディバインセルフがあることが知られ始めている。

これらの言葉に最初に触れた時、「日本語にして欲しい」と、私は思ったものです。
しかし、現在はならないことが理解できるようになりました。
元々日本にないものの名前を和名にすることができないのと同じ理由です。
しかも、これらは実は英語にさえもなかった言葉なのです。
「アイ・アム」は、原文では「I AM」と表記される、誰かがこれを日本語で
「大いなる自分」と訳しました。
言いえて妙であると思います。

「ハイアーセルフ」を言葉のままに訳すと、「高次なる自分」かもしれない。
けれど、現在の自分より高次元の自分は、ハイアーセルフが示すよりも先がある。
訳し方としては意訳になるが、「悟りを開いた状態」が、
ハイアーセルフと一致した時の自分であろう。
つまり、人間は悟りを開いただけでは終わりではないのです。
この先にはまだまだ続きがある。
その霊的成長の過程を歩むスピードも個人の自由選択に任されているのです。

神の愛は深い