先日とても残念な事件が身近に起きてしまいました。
プライバシーの観点からあまり詳しくは書けないのですが、
小さい頃からよく知っている子が通っていたお教室の先生の批判を
ブログに書いていたことが発覚し、お教室を破門になってしまったのです。
彼女は将来はその道のプロになることを目指して、
小学校低学年から中学生になる現在まで頑張ってきていました。
しかし、今回の件で自分の夢への道を自らが閉ざしてしまったわけです。


ブログへの書き込みを他者に見せながらする人はあまりいないと思います。
そのせいで、勘違いしている人が多く見受けられるのも事実ですが、
ブログに書き込むという行為は、公に向かって自分の意見を発表するのと同じ行為です。
ブログは相手が見えはしていなくても、世界と繋がっているんです。
そのことを忘れずに読む人への愛と思い遣りのエネルギーでもって
言葉を使うことの大切さを再認識いたしました。

問題を識別するためのコミュニケーションと批判は同じものではありません。
批判は文字で見れば一目瞭然ですが、
人類がアセンションするために手放すべき判断することに繋がっている行為です。
他者を批判する言葉は暴力的な力を宿しています。
批判をすればするほど人も自分の魂も傷つけ、悪い波動に落ちていくだけです。
言葉によるこのエネルギーは最も頻繁に行われている
神のエネルギーの誤用なのです。


私達はもっと自己が発しているエネルギーに繊細な注意を払う必要があるようです。