昨日の記事を書きながら、クライアントや読者の皆様のこの無条件の愛の獲得の難しさを見るに、
ふと「自分はどうだったかしら・・・?」と、考え込む私でした。

過去記事にあるように、典型的な条件付きの愛で育てられた私ですが、
私は「役に立つ人間になりなさい」という観念は、植えつけられていません。
何故なら医師の判断では、いつ死んでもでもおかしくない子供である私は、
両親からすれば「生きていてくれさえすればいい」であり、
将来のことなど教え込む余裕がなかったのです。

ヒーリングの勉強をはじめた時、自分に足りないものとして無条件の愛に気づいた時、
本来これを学ぶべき相手である母を私は既に失っていたので、
エネルギーから学ぼうとオーラソーマのピンクのポマンダー、レディ・ナダのクイントエッセンスと、
ピンクコンビネーションのイクイリブリアムボトルをどれほど使ったかを既に忘れています。
つまり、覚えていられないほどの量を使ったわけです。

私の場合は、頭の理解が先でエネルギーとして獲得した形になります。


クライアントをみていて思うのは、母親が実在していると、
母親が与えてくれるべきもの、教えてくれるべきものとして捉えてしまい、
自分の親が正しい母親像と違うことにショックや怒り、嘆きを抱え込んでしまうこともあります。
愛なら親は子に与えられるものなら与えることを惜しんだりしません。
与えられなかったのなら親自身がそれを知らないのです。
人間は自己が知らないものを教えることは出来ないのです。

107本あるオーラソーマのボトルも最も多いのはピンクコンビネーションカラーのボトルであり、
これは人間がいかにここを超えていくのかが難しいことを物語っています。
無条件の愛を完全にマスターできたなら、
それはまさにマスターであり神業なのです。

無条件の愛が理解できないと苦しむよりも、
理解できないのは自分が人間だからだと思ったほうがいいのです。

ただ、アセンションするならマスターしないと無理なのですけれど、
その学びの行程にしても苦手から克服するよりも、
できること、才能あることを延ばしていくのが簡単なのです。
そのやり方こそが、自己を受け入れていく自己受容そのものなのです。


無条件の愛がわからないとしたら、自分はまさしく人間なのだと安心してください。