図書館で見つけて借りてきました。
故河合隼雄氏が八人の人と繰り広げた対話をまとめたものです。
その八人の中で自分が知っていて「あぁ、あの人」と、思ったのは中沢新一氏のみですが、
他の七人との対話もとても興味深いものが満載です。

特に作曲家三善晃氏との対話の中の、音楽を聴いて感動する時に、
フランスの仲間たちはそこに宗教的なエクスタシーがあるという。
神に近付くために作曲をするというここのあたりを読むと、感覚として納得できるものがある。

別に私は作曲などしないけれども、自分の中にある感覚にぴたりとはまるものがあるのです。
先日も書いたけれども母はクラッシック好きだったし、
姉もピアノを習っていた。
幼馴染は音大卒のピアノ教師である。
こういう環境であれば、クラッシック音楽に自然になじみは深くなります。

私が感じていた、
クラッシック音楽というものが何を目指してつくられているのかの根源の部分を言葉にするなら、
神に近付こうとする試行というのは、すんなり入ってくるのでした。

こうしたことを学びながら三善氏は、他と違う日本人である自分というものを見つけるのです。

この宗教による日本人と西洋人の文化的背景の違いは決定的で、
これは精神構造にも違いを生み出しているはずなのに、
日本人自身が気づいてないと話は展開していくのです。


何で読んだものだったか、原典が探せないのですが、
優れたクラシック音楽の楽譜は、元素記号で表された化学式と一致するという。
森羅万象に現れている波動を五線譜に表したものということになるのだという。


今日の勉強会ではちょうど、電子は愛のような根源的な源のエネルギーから
できていることを学びました。
全ての物質を構成する電子は神聖な愛の活動が可能なものなのです。

森羅万象は素晴らしい神の愛を歌い上げているのです。
それを五線譜に書き起こしたものがクラッシック音楽には、あるのです。