東京地方の昨日は梅雨の晴れ間の青空の見える真夏日でしたので、
洗濯を終えたらカメラを持って神代植物公園に私は向かいました。
初夏にここへ行くのは初めてなのですが、バラの写真を撮りたかったのです。
そして、一通り写してお昼を食べに外へ出てお蕎麦屋さんに入ったところで、
お財布を忘れてきたことに気が付きました。
へそくりは、持っていたのでなんとか無銭飲食にはならずに済みましたよ・・・。

三時前には自宅に戻ってきていたのですが、
夜になっても蒸し暑くて熱い飲み物を身体が受け付けない状態でした。
そんな日でしたから、不思議はないともいえるかもしれませんが、
夜中の三時近くに、眠れずにいる私の耳に届いた夏の恒例のボトルの悲鳴で、
私は初めて既に一本割れていることに気が付いたのです。

例年と違って、暑い日が続いていたわけではないですから、
ボトルの中身の温度上昇だけで割れたとは思えません。
割れていたのは25番ナイチンゲール/回復期のボトルでした。

このところハートに対して集中的なケアをボトルのアルケミーが続くことで余儀なくしている私ですが、
面白いものでケアが進むとスペースが広がるとでも言いましょうか、
エネルギー・ブロックがなくなるとそこは空洞だから満たされることを欲するのです。
これに関してはエネルギーが均されることはないようなので、
高い所と同じレベルに満たす必要が出てきます。
昨日は、外出から戻ると五次元にある愛の神殿にエーテル体で行った私でした。
神殿にはすでに顔なじみになっている天使もいました。
ゆっくりとそこで過ごして、ハートが満たされるまで神聖なる愛の炎を吸い込んで、
私の意識はこちらに戻ってきたのでした。


ボトルの愛は限りなく深いものです。
時にこちらが望まなくても自己が必要としているエネルギーを
ボトル自身が差し出してくれるのです。
ですから、こちらはそれに「NO!(買い直すのは高いのに無駄になっちゃったなんて気持ち)」をいうよりも、
「ありがとう」と感謝して受け取っていきたいと思っています。