ヒーラーやセラピストがクライアントのもつ苦しみを軽減しようと、
相手の問題を自分に肩代わりさせることがあります。
この場合、クライアントは楽になり癒された感がありますけれど、
その問題をつくっているエネルギーは治療者に移動しただけですので消えてはいません。
こうして我知らずクライアントのものを引き受けていき続けると、
大抵の場合、治療者は太っていくか、腎臓を患うことになります。
最悪自分の寿命を削っていくことも有り得るわけです。

これは自分で消化しきれない、濾過できないエネルギーが
肉体に与える影響の表れなのです。


セラピスト仲閒を観ていて私が一番不思議に思ったのは、
これをするしかない」という感じで癒しの仕事についている人が多いことでした。

何故、そうなのかが私には理解できませんでした。
私は自分がなりたいと思ってこの仕事を始めたわけではなく、
自分に出来ることを仕事にしたら、それが「癒し」だったのです。

昔、私の在り方はクライアントに対して「失礼だ」と言われたこともあります。
しかし、何が失礼なのか未だに理解できません。
悩み苦しんでいる人に対し、出来うるサポートを提供する、
クライアントに向き合っている時間はその人のことしか考えていません。
その癒しに興味を持った切欠が自分の癒しからにあって、何故失礼なのでしょう。

いま、健康な人なら病いを治せるというわけでもないのに・・・。


前世で「癒し」を仕事にしていた人が今生でも「癒し」の仕事を選ぶ。
このようなことは、実は良くあるようです。
魂は学ぶべきテーマを持って生まれ変わっているからです。
ここから観てみると、前世の時に肩代わりした荷物を元の持ち主に戻すことが、
エネルギー的には行われているようです。

そして、この作業のために「癒し」を使っている人達がいるのです。
肩代わりしていたカルマを元の持ち主に戻すことは、
それぞれの魂の成長のためには必要不可避なことです。


癒しを行うことが、カルマの解消になるわけでも、罪滅ぼしでも何でもなく、
無私の奉仕からできるようになれるのがベストなのかもしれません。