新選組に入れ込んでいた20代の始め頃、
史跡廻りで知り合ったメンバーと私は3連休となれば、
京都や会津、函館とあちらこちらと旅して回っていました。

このメンバーの1人が以前書いたとても霊感の強い、
前世では義妹にあたる人でした。
仲の良かったメンバーは3人で、
内二人が義妹、1人が実の妹というひとつ前の前世メンバーでした。
この3人は、腐れ縁で一つ前に限らず幾度もの前世で顔付き合わせています。

一緒にあちらこちらに行っている間に、一つ前以外の縁もいくつか掘り起こしました。
京都をうろついている時に、本能寺を通りかかったので、立ち寄り、
それぞれに自分で写真を撮ったのですが、
私の撮った写真にだけ「信長」が写りました。(心霊写真です)

このようなことは度々あり、同時にシャッターを切っていても、
こちらには写っていてそちらには写っていないというのが、
何度もありましたので、
段々何故写るときと写らないときがあるのかのパターンが見えてきました。
どうやら前世で自分と深い関わりのある相手は、写りやすいのです。

あの時、本能寺で一緒にいた他の二人は秀吉の娘でした。
私のにだけ写ったというのは、私が信長の近親者であったからと思われます。
しかし、その後のひとりの時に東照宮で家康の霊と私が話をしていたら、
するっと「ちちうえ」と呼びかけていました。
これを聴いた家康が、涙を流して「私をまだ『父』と呼んでくれるのか」と本気で、
喜ばれたという妙な体験をしています。

織田の血筋で家康を父と呼ぶ立場の人間って誰だろう?
疑問に思ったけれど、解る時は解るだろうし、
歴史の中、名前が残っている人間の方が圧倒的に少ないのですから、
わからなくても・・・という調子でした。
現在は、これから類推するなら、思い当たる人物はひとりしかいません。

芝の増上寺にも行って、いろいろ確認してみると、
その人物の廟は空襲で焼けて跡形もなく、
写真だけが残っている。
この写真からも呪術の臭いはぷんぷんしていました。
明かに、呪殺されたのでしょう。
誰が殺したのか。
そんなことを今更ほじくり返しても意味はない。
けれども、あの時の家康の涙が全てを物語っている。
直接手を下していなくとも、
「父」と呼ばれなくなって当たり前のことをしたと本人(霊)が知っているのだから。


前世を探ることは、好いことばかりが出てくるわけではありません。
けれども、よい人生を過ごした土地に行くことは、
よいパワーを得ることにも繋がります。

もし、悪い縁を掘り起こしてしまったなら、
カルマのクリーニングのチャンスだと捉えてみてくださいませ。

人類の総決算のこの時代、私のように過去世の人物を特定することにはならなくても、
過去世のカルマはそれぞれの人生に現れているはずです。
因果応報、よいものも悪いものもあるでしょう。
全て、行ったことが行ったなりのものとして現れてきます。
そこは、ジャッジを手放して『今、ここ』から向き合えば、
必ず明日に繋がっていくことでしょう。

過去世のお掃除も軽やかに楽しんでまいりましょう。
もし、出てきたものに押しつぶされそうな時は、
ヒーリングなど他者の助けを借りると速く片付けも済むことと思います。