日曜日は数日早めにですが姪の誕生会でした。
帰り際に義兄から「少し早いけれど木曜には渡せないから・・・。」と、
ホワイトデーの贈り物をいただきました。

ダイエット・コンテスト参加中ですが、
食事を一食代えるだけで他は特別制限はしていませんので、
ありがたくいただきました。

そして、今朝は知り合いの家庭のホワイトデーの様子をFBで読みながら、
ほほえましく思っていると、自分の父親のことが思い出されました。
基本プレゼント交換なんて煩わしくて、もらいっぱなしの人でした。
まぁ、親は子供の生活の全てを与えてくれているのだから、
そこが理解できていれば、子供の側も気にはならないのかもしれませんが、
自分は子供の時にこれを理解できていたのかわかりません。
父のもらいっぱなしな態度をどう受け止めていたのかを、
これによりエネルギー的にどんなパターンを自分が保持しているのかが気になったので、
久しぶりに花カードを選んでみました。



写真上側5枚が、父のそのことに対する花カードです。
自分が与えるばかりで怨んでいるけれども、
そのことを表現すると家庭がめちゃくちゃになると思って我慢していたようです。
やはり、理解は難しかったのですね。
特に、我が家は共働きで、父より母が稼いでいたりしましたから、
父だけに感謝することはできなかったとも思います。

そして、ネガティブなことだけに焦点を当てないように、
贈り物に関するポジティブポイントを探っていたら、
突然、義兄の中学時代の親友だった人のことを思い出しました。
この人とも我が家は家族ぐるみでお付き合いしていたのですが、
労災で休職を続けるうちに会社と組合の抗争のなかで自ら死を選んでしまった人でした。
私には理解が出来ない部分の多々ある人で、
その最たる部分が贈り物の多さと高額なことでした。
当時高校生の私にブランドものの服をくれるような人だったのです。
状況を補足しますと、腕の長さのせいでまともに着られる服がなかった私に、
「これならサイズが合うと思う。」とワニさんマークのトレーナーをくださったのです。
(あのトレーナーはあの頃で10000円はしたと思います。)
私は私でこれしかないから、それを学校の体育に着用していて、
クラスメイトの非難を浴びていました。
ゆるい学校でしたから指定のトレーナーやジャージは存在していなかったのです。
この他、卓上トレース台やエアブラシなど、
高校生の私ではなかなか手が出ない高額なものを沢山この人から私はいただいたのです。
でも、この人は我が家が好きで、姉のことが好きで、
私は本命ではないことは私にだってわかっていました。
ですから、この贈り物をどう受け止めていいのかわからなかったのです。
選ばれた花を見ると贈り物のことで選んだはずなのに出口のない人間関係に、
苦しんでいるのが浮かんできました。
こんなものが人から贈り物を受けることにくっついていたら、
お礼を言う口が重くなるのが理解できます。


バレンタインにしても、ホワイトデーにしても、
ささやかであっても、豪華であってもその本質は、
相手への感謝と愛情の示し方なのだと思うなら、
素直な気持ちでやりとりできるのがいいと思う私でした。