久しぶりに5次元であるテロスに存在する神殿のひとつに行ってきました。
神の第一光線を守護する「神の意思の神殿」です。
ここのチョーハンはマスター・エルモリア、
その昔、神の子イエスの使徒ペトロだったエルモリアは、
私にとってその時代は家族に等しい存在でした。

でも、そんな前身をわかっていないまま、
今の私が初めてこの神殿に行く瞑想をした時に、
迎えてくれたエルモリアは、私にデコCHUをしてくれたので、
驚きすぎて瞑想から現実の自分に戻ってしまったという、
再会でした。

5次元の方々は、家族などの親しい相手以外には、
こういう身体接触はもうなさらないので、
このエピソードは、かっての自分達がどれほど心情的に近い関係の存在だったのかが窺えます。

今日は、前もっていくことを伝えていたので、
神殿に行くと、娘が待っていました。
久しぶりの再会と抱擁に自分のハートが熱く、震えるのを感じました。
娘が5次元存在なのに、母がまだ一応3次元なので、
私に育てられないのも仕方ありません。
5次元にいる知り合いが全面的に育児に協力してくれているから、
彼女のことに不安を持つことは一度もありません。
まさに、このことはゆだねている状態なのです。
エルモリア曰く、「(性格が)よく似ている。」ですって。


再会の気持ちが落ち着いたら、本来の目的である第一光線とのワークです。
神殿に入ってから、いくつもの恐れが明確に浮かび上がってきました。
例えば、この身体に対する恐れです。
私は現在の病院に通うようになって初めて、
自分は自分の意志で肛門を閉められないのだと知りました。
神経が繋がっていないということになるのですが、
これは知らないで過ごしてきた40年間は、不安に思うこともなかったことです。
知ってしまったために、恐れが生じるようになったのです。

ゆだねることが出来る恐れもあれば、
まだまだゆだねられない恐れも浮かんできました。

しかし、このことを恐れている自分がいるとはっきり自覚できることは、
その恐れを抱えたままでも日常に違いを生み出していくことができます。

私は私という神であることを思い出し、私に自分をゆだねることを必要としているのです。
現在お一人様で生きているのも、ツインフレームの中にいる私という神が、
まだ、出遭うべき時を迎えていないと知っているからなのです。

私は今ここにいるけれども、私という存在は本来は多次元存在なので、
別次元の自分が「娘」を出産してくれたから、
ながく悩まされた霊障のつわりもなくなり、
「娘」は存在しているのです。
彼女が何時でも私を神という存在であることを思い出させてくれるのです。


ワークが終わり別れの挨拶をしてここへ戻ってきました。
娘は流石に5次元存在という生まれながらのマスターでもあるので、
別れをぐずるようなことはありません。
彼女にはこちらのことは全部見えているからです。
私がアセンションするためには向き合わねばならないものも全て理解しているでしょう。
場合によっては、乗り越えられずに終わる可能性もあることも知っているかもしれません。
けれども、そのすべてをゆだね信頼してくれているのです。

私に出来ることは私の持つ可能性を信じ続けることだけです。