今日は定期診察日でした。
新宿のJ病院に通うようになってからずっと担当してくれていたS医師が、
4月から病院を移ることになりました。
これまではこの医師が移動すると患者も移動先にくっついていくパターンだったらしいのですが、
今回はそれはできないという。
なぜなら移動先は世田谷区内にある国立成育医療センターであるから。

我が家の近所に勤務先が変わるのに、かかるわけにはいかないことになりました。
前身である国立小児病院に自分もお世話になっていましたから、
あの病院でS医師の経験と知識が必要とされるのは、想像に難くない。
赤ちゃんから導尿を必要とする子供が沢山いるらしい。
S医師は以前は隣の神奈川の病院に勤務していて、
神奈川では、二分脊椎の子供はS医師のいたその病院に集まってくる、
「あそこでは、年に10人、生まれていた。」というお話を聞かせていただきました。
神奈川だけで、10人というのは、外国に比べれば、やはり多くの母親が、
出生前診断でわかっても産む決断をしている国だと言える数字なのではないでしょうか。

ただ、このうち何人が無事大人になれるのかの数字は、私は知らない。

二ヶ月に一度の通院の私は、S医師とは今日が最後の診察でした。
最後ということで色々訊いてみたい気もしていたのですが、
待合で待っている間に、
一種の天啓があり、質問はせずに、
けれども、先生と一緒に大爆笑の中、診察は終了しました。

何がそんなに可笑しかったのかというと、
本日の医師からの最初の質問がタイトルの、
「何でおしっこがでないんだっけ?」で、
質問の意図がわからず私も目を白黒させながら、
「いや、出なかったことは私はないですけれど・・・。」と、
しばらく会話を続けるうちにやっと、S先生の訊きたいことが何なのかわかったという。

「そうだ、二分脊椎だ。」

あまりに基本的なことなので、まさかこれを訊いているとは思いもしませんでした。

私が病院に何故通っているのかの理由、しかし病名というには違和感のあるこれ。
だって私、障害あっても健康ですから。

何故こんな会話から始まったかというと、私を次回からほかの医師に託さねばならないのに、
病院が現在システム変更中で、過去のデータが画面に出せない状態になっているうえに、
私は外見上は二分脊椎症患者らしくないので、
病名がすぐには出てこなかったらしい。

そう、私の障害は同じ二分脊椎の人のなかでも軽いのを知っています。
私のように「自分の脚で歩ける人はいない」と、
今日のS医師も言っていました。

成長途中でカラダのバランスが酷くなることも、めずらしくないらしい。
ですから、最初から歩いていて、現在も自力で歩けている私はかなり珍しいのかもしれない。
もっとも私も自分の知識と技術を総動員して、
27才の寝たきりになった時期以降は、西洋医学以外の方法で、
常に肉体のケアを続けています。
こういうことは、他の人はなかなか出来ないから、
状態が悪くなってしまうとそのままになってしまうのかもしれません。


文章が大分長くなってしまうので、
今日、どんな天啓があったのかについては、また別の機会にアップしようと思います。