この写真の浜はウミガメの産卵地なので大切に守ろうとされています。
私は屋久島で生まれて初めて実物の白い砂浜と青い海を目にすることが出来ました。
東京生まれの東京育ちですと近県の海は青いというより黒いです。
砂浜は灰色です。

なんだか砂浜と海のイメージがこの色彩だけで違ってきてしまいますよね。

別にこの色彩イメージのせいで、海を好まないわけではありませんが、
カナヅチの私は好んで海に行くことはしません。
単純に暑いのが苦手なので山のほうが好きなのです。
こういう私でも楽しめるのが屋久島とは言えるようです。
海のすぐそばが山という平らな土地がほとんどない島でしたから。


さて、昭和の時代お嫁さんは男の子を産まないと肩身が狭いような社会的風潮がありました。
ところが、最近はこれが変わってきているようです。
確かに跡継ぎが必要とされるお家では、今もそうらしいですが、
こうしたことを気にしなくていい程度の場合、特にお母さんは産まれてきたのが、
「女の子でよかった。」
というようです。

これは何故かというと、
女の子なら(自分の)介護をしてくれるからという、理由らしい。
この話しを聞いたのは幼なじみからで、
確かに彼女は婚家の義父母の世話を焼きながら、
実の母を引き取り同居生活をしている人なので、
沢山介護にまつわる話が情報として入ってくる立場になっている。

私はこの話しを聞きながら、日本社会の依存性について気分が重くなってしまいました。
もともと、個人を大切に育てない日本社会の在り方は、依存的なものなのです。
これが夫婦の在り方や、親子の在り方にも大きく影響を与えています。
人間関係については、当事者が選択するものなので、
前述の幼なじみも含め、「依存関係を解消しろ。」などと乱暴なことを言う気はありません。
しかし、親が子供に老後の介護を予想して女の子だからと安心するというのは、
何か違うという気がします。

精神世界の、「子は親を選んで産まれてくる」を前提にしても、
そこにある深い依存の形にはため息が漏れてしまいます。
しかも、子供の性格がいい子ほど、
情や育ててくれた恩義に縛られ、
親を見捨てられなくなるから、この依存の関係を断ち切るのは難しい。

そもそも現代の介護の問題は、科学信望という西洋医学への依存が
つくりだしているものなのです。
私達は自分の身体の健康にもっと責任が取れる存在なのです。
これを西洋医学は、私達から見え無くさせてしまった。


様々にバランスを取り戻そうとの動きが社会の中にあるとは、感じていますが、
依存についてはなかなか問題にすら気づかない人の多さに、
それだけ深く病んでいるのだと考えさせられるのです。