子供の頃、母の肩もみは私の仕事でした。
ゴルフ場のキャディという肉体労働をしていた母は、とても身体が疲れる毎日だったのです。
その母を家族の中で1番非力な私が揉み解していたのには、わけがあります。
父や姉は身体がこるということ事態が理解できず、母の身体に触れていても
こりの中心がわからなかったのです。

私はセラピストになろうと思った時、マッサージ系の道に進もうと考えていました。
しかし、思いがけず反対されることになりました。
そんな中知り合いから紹介された、オステオパシーでは日本で三本の指に入るという方に
このことで相談にのってもらったところ、これまたあっさりと反対されました。

「おまえは結婚できるなら結婚しろ。どうしてもこの道に進みたいなら鍼灸だけにしとけ。」

前半部分のアドバイスは、今だ活きてはおりませんが、
後半部分にこめられたアドバイスは理解できたので、現在に至っています。

私の身体で他人の身体をいじるのは自分の肉体に負担がかかりすぎるのです。
上手くツボを指先が捉えれば、身体の負担は少なくて済みますが、
そこに力を入れることには変わりありません。
日常的な生活の動きさえも実は結構な負担になる私の身体では、
指圧やマッサージは大きな負担であったはずです。


マッサージを受ける側としては、つぼにきれいに入って押される時の、
痛みと快感は何とも言えないものがあります。

いつもこる場所があるというのは、凝り固まった何らかのパターンがあることも示しています。
それは姿勢にはじまり、身体の使い方や、考え方、感情のパターンまで色々です。
問題の核をほぐしてしまわなければ、
肉体だけほぐしても同じ症状をぶり返します。

身体のケアとしてマッサージを受けることは否定しません。
しかし、身体にその反応を起こしている問題の核を変化させなければ、
その癒しは一時しのぎでしかないのです。
身体を大事にしようと思うなら、自己の内面にも目を向ける必要があるのです。