人間を基本的グループ三つに分けるとするなら、
オーラソーマでいえば先ず三原色が持ち出されます。
青、黄、赤というわけです。
それぞれに特徴があり、私はこの分類でいけば文句なく赤のグループの人になります。

結構短気ですが、熱しやすく冷めやすいので、怒りを延々引きずることもない。
そんな赤の人の気質の1つに「執着」と「手放し」があります。
すべてに、裏と表、ポジとネガがあるように表裏一体の性質、エネルギーがあります。
「執着」と「手放し」もそんな関係性のもので、
執着する人は、その対となる手放しが苦手だったりします。

私自身もそうで、かっては父への憎しみに囚われていました。
どうしたら、憎まずにいられるようになるのかと、
いろいろなワークに取り組んでみましたが、なかなか手放すこと、
憎しみをなくすことが出来ませんでした。

勉強の為に参加したオーラソーマのコースで、
上記の三つのグループ分けの時に「執着」と「手放し」が赤であることを知り、
ということは同質のエネルギーということになるので、
理解不能に陥りかけた時、ティーチャーがゴムボールを持ち出しました。
「執着」はこれに囚われること。
握ったり、触ったり、こねくり回したり、
ここまでは理解できます。
と、ティーチャーはボールを壁に投げつけました。
「これは「手放し」ではない。」といいながら。

ボールは当然壁にぶつかって跳ね返ってきました。
彼女はそれをキャッチしながら、「現象でも同じ様に戻って来るのです。」といいます。
「これではなくなってはいませんね。」
彼女は笑いながらいいました。

「本当の「手放し」は、これです。」
ティーチャーは最初と同じ様に手の上にボールを乗せています。
でも、握ってはいません。
触ってもいません。
ボールは彼女の掌の上にただあるだけです。

あるものをあるがままに認めることが、「手放し」の本質なのです。


目の前からなくすことが「手放し」ではないのです。


わきあがってくる憎しみをただ、まだわいてくるとみつめることを繰り返すうちに、
怒っても気にならなくなっている自分に気がつきました。
やがては、ここに含まれていた大いなるレッスンに気がつき、
憎しみも怒りも感謝に取って代わっていきました。

父と直接関わっている時には、腹の立つ時もあるかもしれませんが、
それは、今その時の怒りに過ぎません。
累積した感情のエネルギーをぶつけることはないのです。
だから、いつでも気持ちのいい関係に戻ることも可能です。

「今にいる」というのは、こういうことをいうのだと体験できるようになりました。


青や黄の性質が気になる方もいらっしゃるでしょうが、
それは、コースで学ぶべきことなので、ここで書くことは遠慮させていただきます。