私が過去世でエッセネ派といわれる集団に属していたことは、すでに書いてきたと思います。
このエッセネ派、Wikipediaによれば紀元前二世紀から存在し、
70年以降に崩壊しているという記述がされています。
およそ300年くらいの存在ですが、この中のどのタイミングに私がいたかといいますと、
私はイエスにとても近しい者として生きていたことが近年わかりました。
しかし、イエスの昇天(アセンション)後の自分のヴィジョンというものがなかなか見えてきませんでした。
この見えないというのは、気にする必要がないのか、
何らかの影響により見えなくさせられていたのかのどちらかになりますが、
私の場合は後者であったようです。

どのような宗教も時の権力との結びつきがなければ発展していないのが、
三次元の歴史です。
権力と結びつきたい集団によってイエスの存在は利用したい事実ではあったのです。
けれども、真実の中には権力の側にいる者にとって民衆に伝わっては困るものもあります。
よって、真実を知る近親者である私の自由は拘束されました。
何らかの取引により、私はある人物が私のもとへ来たら自由を取り戻せるが、
その人物が来るまでは、権力者側の支配により軟禁状態の生活をしていたようです。
過去世の私が生涯を閉じることになったその場所は、現在モン・サン=ミシェルが建つ地です。

キリスト教徒の巡礼地でありながら、
「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった場所であり、
もともとはケルトの民がモン・トンブ(墓の山)と呼び信仰する聖地であったこの場所に、
モン・サン=ミシェルが建つのは708年にアヴランシュ司教オベールが夢のなかで
大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたのが、始まりとされる。

かの地で私が来るのを待っていた相手は、私の為に約束を果たそうと全力を尽くしていたようですが、
謀略にはまり、命を落としてその魂までもが封印をかけられていました。
これらのことが見えた先週の土曜の夜、私は友人達の協力のもと、
その場所を割り出し、封印を解いたのでした。
これにより正気に返ったその魂は、真っ直ぐに私のもとにきて跪いて謝罪の言葉を発していました。

それは私の知るまごうことなきその人物そのものの姿です。
それがユダでした。