才能の否定という前回の記述の鍵になる部分が、子供時代からの体験なのに、
何故インナーチャイルドになっていないのかを考えてみました。


最初の体験が子供時代であり、繰り返し同じようなパターンを経験しているのだから、
インナーチャイルドとして働いていそうなものなのですが、
実は私はこの一連の体験で、傷ついてないわけではないけれど、
何も決めていないし、何も思い込んでいないのです。

一般的にインナーチャイルドは、傷ついた体験をもとに自己に制限をつくる心の働きを指します。

例えば、私の体験でいうなら『画家は食べていけない仕事』と思い込んだのなら、
これはインナーチャイルドとして働いたと思うのです。
私は食べていけないのは才能のない人や才能があっても運のない人だろうと、
考えていました。
本当に子供でしたから自分に才能がないということなど考えもしない時代の話なのです。

『食品管理に向かない』といわれても、私そんなに大雑把かしらと疑問に思っただけです。

『漫画家なんて・・・』と言われても、なってみせるという反発しか持たなかった。

インナーチャイルドとして働いているものがあるとしたら、
『私のすることを誰も認めない』だったかもしれませんが、
これは二十代で知り合ったM先生から、
「身内はこちらの悪いところもいっぱい知っているから、なかなか認めてくれないものだ。」
との言葉に、
つまりは最初からニュートラルにみる視点に欠けているのだということで、
納得したのでした。

私に関しては常に外の評価と内の評価がアンバランスな人でしたし、
様々な意味で他者は意外にこちらを見ていないで評価するところがあると、
子供の頃から気がついていたことだったのです。
ですから、反対されるショックだけが残り、インナーチャイルドとしては働かない。
本質的なものとして親からの承認や受容は得られないので、
自分でここを獲得していくしかない、
やり方としては困難な方法を選ぶことにはなっているけれど、
自己に制限を設けたのとは違う傷ついた体験になっているのです。
傷ついた体験によってそこから何かの決めごとを自己に嫁したわけではないので、
インナーチャイルドと呼ばれる心理の働きとは違うものになっているようです。