私は多分父親からは虐待は受けてはいません。
虐待に当たるような行いは、母親から受けることは幾度か在りました。

母親は頭に血が登ると手が出てくるタイプの人だったから。
けれど、反対に父親から感情的に怒られたことはなく、
叱られる時も「ちょっとそこに座りなさい。」という感じで始まり、
「大体君は・・・。」という調子で叱られるのでした。

けれども、私は母親に依存する子供でしたから、
母に苦労ばかりかける、職が定まらない上に借金癖のある父が、
姉ばかり可愛がり、私の誕生日を覚えることすらしない父が、
憎くて仕方なかったのでした。

私が二十歳になる前に母は他界し、
姉は父の依存から逃げ出すように早々に嫁いでいきました。
家に残された私は、愛犬を心の支えに生きる毎日だったのです。


やがて、家を離れて暮らすことになれば、
心も落ち着いてくるし、そうなれば別の視点を持って父を見ることも可能になります。
単なる不器用で表現下手な人であることも見えてきました。
自分が癒しの道に進めば、さらに深く、きっと父自身さえも気がついていないようなことも
見えるようになりました。
こうなるとマインドは、「もう、いいよ。」と、
父を赦すことが出来るようになっていったのです。

けれど、
父と現実に顔を付き合わせて会話していれば、
むくむくと沸き上がる怒りがあり、
喧嘩腰の会話はなかなか直りません。
これは、「インナー・チャイルド」が、潜在意識のなかで暴れるからです。
過去の赦せない気持ちがエネルギーとして自己から発散されてはいないから、
表現されることを無意識が求め怒りだしてしまうのです。

ここを変えるのが、「癒し」なのです。

特に父親というものは、その後の人生で出逢う全ての男性に、
反映されるエネルギー存在です。
もし、過去に父親に酷く傷つけられることがあったとしたら、
その人の中には男性は自己を傷つける相手というエネルギー・パターンが残るので、
どんなに注意深く相手を選んだとしても、
その人と深く関係する男性は自分を傷つける人になってしまうのです。
これは、この人が自分の中にあるこのエネルギー・パターンを変えることが出来るまで続きます。
これができるまで、何人相手を変わろうと、
同じ事が繰り返されるのです。


赦せることは、確かに大いなる一歩です。
けれどもそれは、癒やしとしては始まりの一歩であるのです。