私のアイコンは、十年前に飼っていたグロネンダールの写真です。
この写真は雑誌の取材を受けてプロに撮ってもらったもの。
グロネンダールの前に飼っていたのはジャーマン・シェパードで、
名前を「エド-edo-(ドイツ語で相続人の意)」と、いいました。

エドは私への誕生日プレゼントとして我が家に来たのですが、
ブリーダーさんの所から我が家まで連れてきてくれたのは、
先日少し書きました義兄の親友であった人でした。
到着して車の中にいるよと言われ、迎えに行って目があった時の奇妙な感覚を今でも忘れません。
私は直感的に「このこを知っている。」と、思ったのです。

でも、一つ前の前世で関わりのあった動物は馬くらいで、
犬や狼との記憶はありません。
何故知っていると思ったのかの疑念は、
日々の中に埋もれていきました。
その数年後に母は癌で他界し、悲しみが落ち着いた頃に姉は嫁いでいきました。
家には当時険悪だった私と父が残されたのです。
その人生で最も苦しい日々を側で黙って支えてくれていたのが、
エドの存在でした。

エドは、現在思い返すと不思議な犬でした。
私と姉以外にはあまり関心のない、究極私さえいればいいような所のある犬だったのです。
私に対する執着は強くて、私へのマウントは、
訓練士さんも止めさせるのに手を焼くところがありました。

そんなエドとの関係も、私がリーダーとしてきちんと立てたと思えるようになった頃、
言い換えれば「あ・うん」の呼吸になれた頃にエドは他界しました。
一緒に暮らして十年という歳月が流れていました。
死ぬ一週間前に、友人の所に霊体で日参し、
自分の死後の私のことを頼んでいったというエピソードがあります。
こんな状態ですから、エドが死んだ後は、「旦那」とか「恋人」がいなくなった扱いを
警察犬協会の知り合い達から私はされていたのです。
もちろん死ぬ間際のこのエピソードは日参を受けていた友人と私しか知らなかったのですが・・・。



その三年後に我が家に来たグロネンダールの「ソニア」もすでに他界し、
エドのことなど何も知らないはずの人から、もたらされた言葉、
「あなたのガーディアンが人生の一番苦しい時をサポートするために実体化していた」は、
振り返ってみれば納得するものがあります。
あの年の二月に突然腰痛で倒れ寝たきりになってしまった私の
身代わりになったと言われたエドは、
歩くこともおぼつかない私の散歩の負担を減らす意味でも、
非実体化することで次のサポートを選んだのでしょう。


エドと呼ばれていた存在は、現在は本来の姿に戻り、
私の娘の友として高次元にて日々を過ごしてくれています。
その変わらぬ愛と友情に、感謝するのみです。