人生の最も辛い時期に何度も心に浮かんだことがあります。
それは、「どうしてこの人が父親なのか」でした。
これが彼氏や旦那だったら自分の男を見る目がないのねと、諦めもついたか、
別れるかしていたと思うのですが、
正真正銘の親ですから、簡単には話が進まなくなります。

そして、事態はさらに複雑化するのです。

あの時期にエドがいてくれたから頑張れたのも事実です。
エドの散歩中に山に行ったり、土手を散策して食べられる野草を摘んできて、
おかずにしていました。
けれども、エドがいたから、私は家出することも出来なかったのです。
ジャーマン・シェパードなんていう大きな犬は、
持ち家の人以外はなかなか飼育することが出来ません。
ペット王国と言われる世田谷であっても賃貸で飼えるのは、中型犬までです。
稲城の家は賃貸でしたが、庭付きの一軒家でしたので、
大家さんは犬の飼養を許してくれていたのです。
もとより、私が飼い主である以上、終世飼養は私の義務です。

昔から、父は連絡もなく家に帰ってこないことも頻繁の人で
「帰るコール」なんていう概念すらない人です。
何事もそんな人をあてにすることは出来ません。
生き物相手ならなおさらです。

この帰ってこないというのが実はほとんどが、会社の人とする「賭麻雀」で、
父のつくる借金の大半がこれの負け金だったのです。
家族のために頑張って事業に失敗してなんていうまっとうなものではないのでした。
あとは、我慢もせずに買ってくる自分の欲しいものの為のローンとかです。

娘二人が父の借金に対して強固に冷たくなる理由がわかっていただけますでしょうか。


母が他界して10年後に姉の協力を得て、自宅から出ることが叶い、姉の家からも出て、
独り暮らしを続けて10年、
父の借金の申し出に首を縦に一度として振ることなく頑張って、
やっと父は私達にお金の無心をしなくなりました。

本当に、自覚のない依存症の人を矯正するのは、
ものすごくパワーと根気が必要です。
お金があるなら貸してしまったほうが楽なくらいでしょう。
でも、それをしていると、還ってくることなく、また借りに来られるだけで
底なし沼にはまるだけなのです。


先週の金曜には父から私はWi-Fiのルーターとタブレットをもらいました。
カメラが欲しかったけれど、抱き合わせでついてきたこちらはいらないそうです。
私が自己破産しているのも一緒にいた頃に生活のためにつくった借金が原因なのを
現在の父は知っていますから、謝りこそしないけれど、
最近は何かと気にかけてくれるようになりました。
以前は一緒に外食したら払うのは私だったのですが、
ここ数年は払ったこともありません。

私が父を変えようと頑張っていた頃は、何一つ変わらなかったのに、
父のことを手放し、そのままでいることを許せるようになったら、
いつの間にか父が変わり始めました。

多分、父にとっては「お金」がライフ・レッスンのテーマになっているのだと思います。
私はそうでないから、一緒に生きることは出来ません。
まぁ、普通だったらとっくに嫁に行って他所の家の娘になっている年ですから、
障害があっても親に依存しないで生きていることでよしとしてもらいましょう。


私の何故この人が・・・は、私がヒーリングを学びだした時には、
消えて無くなりました。
だって、ここの観点からみると実に多くの学びを私に与えてくれる人だったからです。
まさしく、生まれる前に親として最適と選んだと思えるほどに、です。

もう、一緒に暮らすことはできないけれど、
現在の私は父に感謝しています。