朝から、少し長電話をしてしまいました。
母その二の近況を聞いていたのですが、
どうも素人判断での対処ではそろそろ怪しくなってきている気がするのです。
夫亡き後二世帯住宅で、頑張ってひとり暮らしをしていた母その二を、
実の娘である幼なじみが引き取って一緒に暮らし始たのが昨年末。
年明け早々には、甲状腺の切除という大手術を経て、
体調の状態は安定してきたのですが、
現在単身赴任中の幼なじみのご主人の両親を近くに引っ越しさせた頃から、
いよいよもって甘えが酷くなったという。
その日常の様子を聞いていると、
まるで知能だけ高い3歳児のようです。

よく、年寄りは子供に還ると言いますが、
まさにそんな感じの行動を見せ始めているようです。
でも、先日も会ったけれど私の前ではあまり変わらない様子を見せていたから、
この事態を引き出しているのは、幼なじみ自身にも何か在るのかもしれません。

母その二は、とても厳しい両親の元に育ち、
兄妹でただひとりの女の子だったために、
自分だけ家事手伝いに終始する生活で、祖母に育てられたという
時代的にはよくあった話なのかもしれないけれど、
愛情に満たされることのない子供時代を過ごしてきた人です。

現実的で、合理主義な典型的インナー・チャイルドを癒すことのないままの人です。

ですから、当然私の仕事になんて興味も持ちません。
無理強いしないが基本のオーラソーマですから、
よくないと思っても、母その二にヒーリングを勧めることもせずに、
今日まで見守ってきていました。
そうしたら、この子供還りの話が出てきたわけです。

全ての年寄りが、子供に還るわけではないことを考えると、
故E・キューブラ・ロスが主張していた人生でのバランス説が、
思い起こされます。
彼女は自分の母親のことを例にとり、
人に奉仕することに生きた母親は、病を経て今度は人から奉仕されることを
受け入れざるを得なくなりました。
このように、人生とはそれぞれに学ぶべきテーマがあり、
エネルギー的バランスを取るように出来ているという。

認知症の人を霊視が出来る精神科医が診ると、憑依現象が混じっているという。
それがおきるまでは、自己の霊的側面などというところとは向き合ってない人が、
霊的次元で同意があって起こしていたという見解がありました。
これもやはり、1つのバランスのとり方なのです。


こうしたことを考えると、
年をとって子供に還る人は、
子供時代にじゅうぶんに子供らしく生きられなかった人なのではないでしょうか。
そうやって満たされないままだった心を満たすことを学ぼうとしているように、
私には思えてならないのです。

もし、そうなら、これを現実の生活のなかで満たすことは、
大変な労力を強いられることになります。
目の前の飢えを満たしてもそのような方法では、インナー・チャイルドは簡単には
満たされるものではないからです。
本人も、介護する家族も疲れ果ててしまうことがよくあるのが理解できます。


少ない事例で断定する気は、私にはありませんが、
改めてインナー・チャイルドを癒しておく必然性を教えられた気がしております。